アメリカ陸軍航空隊 ベルP-39 「エアラコブラ」戦闘機
U.S.Army Air Corps. Bell P-39 "Airacobra" Fighter
9/4/2002

全幅10.4m 全長9.2m 総重量3.5ton エンジン. アリソン
1,200馬力1基 最高速度 620km/h モーターキャノン37mmx1、12.7mmx4、爆弾 225kg 航続距離 2,000km 写真はニューギニア島海岸線を飛行するP-39-N 型(2,095機生産)を想定(ハワイ・モロカイ島 1987.8 撮影)。
XP-39(試作機)から始まって、最終型のQ 型まであり、さらにその後P−61まで発展する。 P-39だけでも約1万機、P-61が3,300機生産されたというから、並大抵の数字ではない。 しかしこの機はアメリカ空軍にはあまり使われず、大部分は関係国、特にソ連に輸出された異端児だったのである。
最初の増産型であるC 型が陸軍に引き渡されたのが1942年2月というから真珠湾攻撃の10ヶ月前、当時日本の陸海空軍の実力を過小評価していたアメリカは、現代戦に使える戦闘機としては他にカーチスP40しかなかったのである。
ベルの設計陣は、思い切ったアイデアを駆使し、エンジンはミッドシップ、8フィートの延長軸でプロペラを回し、その軸内に32mm の機関砲を設置、エンジン排気による過給機、冷却器を機体内に納め、前車輪式の降着装置、水滴型キャノピーと自動車式ヒンジ開閉扉などなど、新機軸のデパートといったところだった。 しかしC 型から発展しQ 型に至る間に、ニューギニアなどでの日本機との実戦を通じ、これらの新機軸は必ずしも計画通りの成果をあげられないことが判明、多くの回収を加えるうちに、P-38,P-47,P-51 などの優秀機の出現により第一線機から脱落、もっぱら輸出にまわされることになる。
ちなみに坂井三郎氏らゼロ戦パイロットは、この機をそのプロファイルから「カツヲ節」と呼んでいたようで、殆ど歯牙にもかけなかったという。
胴体中央部のカバーをはずし、ミッドシップのアリソン液冷V型 1200馬力エンジンを点検する整備員。 32mm 機関砲は弾丸20発携行だが、敵方である日本やドイツが大口径砲を必要とする大型機を持たないのでは宝の持ち腐れとなる。
後継機のP-38、P-51などは、日本機相手では12.7mmで充分として、20mmさえ持たなかった。 ソ連はこの火力を対独戦車戦闘に利用したようだ。
写真のP-39 は ドイツ・レベル社 72分の1模型。製作 99年1月 タンクローリー車はハセガワ、整備兵はプライスラー社(独)
|
「エアラコブラと10才だった私」
木を削って作る半世紀前の模型つくり。 ナイフは滑って私の左の親指へ...。
ここをクリック。
|
|
一時期カリフォルニア州チノの"Wing of Fame" に展示されていたP-39 の実機。 この写真は1986年ごろ撮影。
|
目次に戻る
|