陸軍三式一型 戦闘機「飛燕」(川崎・キー61-I乙 )

「飛燕」連合軍名称"Tony"


全幅12.00m 全長8.75m 総重量3.25ton  エンジン1175馬力1基  最高速度592km/h 武装12.7mm x4 航続距離 1100km

1940年、陸軍は川崎に対して、液冷エンジンを装備した高速戦闘機の試作を指示、これを受けて川崎では、ダイムラーベンツDB601エンジンを国産化したハー40を装備するキー61の研究を開始した。 幾多の困難な過程を経て、1943年三式戦闘機として正式採用となった。

ニューギニア、ソロモン方面では機材の不足などから苦戦を強いられたが、本土防空戦では鍾馗装備の47戦隊とともに、調布の244戦隊らの飛燕が活躍した。1943年秋頃から、我々の目にも、鋭くとがった機首と、大きな箱型の冷却器、12気筒水冷式エンジンの乾いた音など、一目でそれとわかる飛燕の帝都上空での警備、訓練飛行が始まった。

1944年12月3日、マリアナ基地の86機のB29は、中島飛行機三鷹工場を目標に、午後2時頃相模湾から本土に侵入、調布の244戦隊の飛燕は全力出動でこれを迎え撃つ。

 11機編隊の1機に後方より接近した中野松美軍曹は、体当たりでこれをしとめるべく、左下方より急上昇してB29の水平尾翼をかじりとった。 機はそのままB29の上面に踊り出て、巨大な胴体に馬乗りになってしまった。 中野機はしばしそのまま胴体上にとどまったが、他機の銃撃で被弾、滑り落ちた。 彼は傷ついた飛燕を巧みに操って水田に胴体着陸、一命を取りとめた。 B29は徐々に高度を下げて行ったが、墜落確認はできなかった。 捨て身の防空戦の一齣である。

この飛燕は後に戦意高揚の目的で、一般市民に展示され(日本橋三越だったと思う)、私も見に行ったが、曲がったプロペラ、つぶれた冷却器以外はほとんど無傷だったのを記憶している。

B29の尾翼を吹き飛ばし、馬乗りになった飛燕

模型は 飛燕 ハセガワ(日本)、B29  アカデミー(韓国)いずれも 72分の1。

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