ダグラスDC-3(全日空)とC-47 スカイトレイン
Douglas DC-3 (All Nippon Airways) and C-47 Skytrain
着陸する全日空のDC-3
翼幅29.0m 全長19.7m 総重量10.8ton エンジン1200馬力2基 巡航速度272km/h 着陸速度102km/h
航続距離 3,900km 乗員2名 乗客21名 1935年初飛行
ダグラスDC-3は、1933年に初飛行したDC-1から発達した機体で、それまでの輸送機に多い複葉または高翼単葉、3基の
エンジンを備えた古めかしい容姿から一変した低翼単葉、強力なエンジンをつけた近代的輸送機の嚆矢となった。
アメリカ陸軍用はC-47スカイトレイン、イギリス空軍ではダコタと呼ばれ、日本では中島、昭和飛行機でつくられ軍民ともに多用された。
海軍では零式輸送機として使われた。 各国あわせての総生産機数は20,000に達するという。 戦後の日本では、民間航空の復興とともに全日空によって本機が多用され、
地方路線の充実に貢献するとともに、次世代のターボプロップ機、ジェット機への
橋渡し役もつとめた。 またベトナム戦争では、機側に固定したバルカン砲から毎分6000発を乱射する
恐るべき兵器となり、多くのベトナム人が犠牲となった。 殺戮兵器ガンシップの原型である。 一昔前に 南米あたりの僻地を旅行すると、各地の空港でDC-3の懐かしい姿を見ることができたが、
さすがに最近はみられなくなったようでさびしいことだ。
私が学校を出て建築会社に就職し、始めて憧れの飛行機に乗ったのが、大阪は生駒山のふもとの八尾飛行場でのセスナ172b。
友達の知り合いの練習飛行に便乗させてもらった。
入社3年目、高松の香川県庁舎の工事に初の現場員として赴任していたとき、高松ー大阪(八尾)間に就航した
ばかりの極東航空社のデハビランド”DH-2 ”ダブ(のばと)”機が2ツ目の経験。 乗客10人乗りの双発だったが、
当時1万円だった月給の 3 分の1をはたいて乗った。 体重が軽いので、計量の結果最後尾に乗せてもらったので、
視界がよく下界の景色を堪能できた。
その後、日本ヘリコプターと極東航空は合併して全日本空輸となった。
さていよいよDC-3の話である。
私は大阪の本社技術部に戻っていて、技術指導に各地の工事現場に出張する機会が多かった。 そのころようやく
実用的になってきた旅客機に乗れるチャンスは逃したくなかった。 いろいろ理由をこじつけて飛行機便にし、
高松、松山、米子、鳥取、富山と、全日空のDC-3、フレンドシップ、YS-11などで飛び回った。 或る日米子からの帰途、
季節風が強く、日本海岸に沿って懸命に北へ飛ぶが、下界の地面はノロノロとしか後ずさりしない。 鳥取市上空で機は殆ど停止状態となって
しまった。風速と機速がつりあってしまったのだ。 こりゃ大変、このままではガソリンがなくなるのでは、と気をもむこと30分、
ようやく伊丹空港にたどり着いたときは正直ホッとした。
休日にはそのころ三つくらいになった息子を自転車の前の荷台にのせて、よく西宮から伊丹へ飛行機を見に行った。
ここは滑走路の西側に箕面の山が迫っているので、飛行機は普通市街地の広がる東から着陸するのだが、DC-3は追い風でも
西側から着陸した。滑走路の西の端に陣取っていると、山の陰からDC-3が忽然とあらわれて、緩やかなプロペラ音
とともに頭上を通過する。 1時間も待てば最低1機は通過する。 4,5時間も待ってのかえり道には息子も疲れて、
荷台でハンドルをしっかり握り、コックリコックリやっていた。
やはりDC-3は思い出の多い「忘れ得ぬ翼」だ。
同縮尺(1/200)のジャンボと同高度で。 数世代前のDC-3はいかにも小さい。 スピードは4分の1。
乗客数 ジャンボは 400-500名、DC-3は わずか20名。

C-47 スカイトレイン(「空飛ぶ列車」)といわれ、軍用輸送機として
各国(日本も含む)で生産された。 白線はノルマンデイー上陸作戦に参加した連合軍機
共通の標識

模型はDC-3とC-47がハセガワの200分の1(1/1/2003完成)、ボーイング747-200は全日空でPR用に製作した
200 の1のソリッドモデル。
なお、この全日空DC-3は、ここニ、三年中止していたモデルつくり再開の一号機。
正月の一日に5時間で完成。 今回は頭バンド式拡大鏡も手にいれたし、またがんばるつもり。 ただし200分の1のものはコリゴリ。 小さすぎるし、写真処理が難しい。
この2機にとどめる。
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