「故郷を追われた子供達」 2000年4月22日
もう体もへとへとになっていた。マイアミにきてかれこれ23日がたつ。その間1日も休まずに毎日最低12時間、長い日には18時間働いてきた。それもみな、キューバから流れてきた一人の6歳の幼い少年、エリアン・ゴンザレス君の取材のためだ。昨夜も深夜近くまで現場に張り付き、ホテルに戻って3時間程睡眠をとったあと、午前4時前にはまたこのリトル・ハバナというキューバ人タウンの一画にあるエリアン君の家(正確に言えば彼の大おじで、エリアン君の米国での親代りとなっているラザロ・ゴンザレスの家)に戻ってきた。エリアン君の行く末をめぐって、ここ2、3日のうちに何か大きな動きが起こりそうな気配が高まっていたためだ。
午前5時をまわった頃であろうか、日の出を待つ空はまだ闇に包まれている。僕は調子のすぐれない体を少しでも休めるために、折り畳み式の椅子に腰を降ろし半分寝たようにただじっと座っていた。日中はごったがえしているカメラマンやレポーター達の数も、さすがにこの時間は3分の1程に減っている。ラザロの家の周りも別段変わった様子もなく、すべては静寂を保ちながらまた新たな日が始まるのを待っているかのようであった。突然、なんの前触れもなくこの静寂が破られた。いったいどこからやってきたのか、まさに晴天の霹靂のごとく、武装した数十人の一団がなにやら叫びながらラザロの家に向かって突入してきたのだ。白いバンが家の前に乗り付け、そこからも次々と武装した捜査官達が踏み込んでいく。一転してあたりは騒然となった。ぼくは一瞬何がおこったのか良く状況がつかめなかったのだが、あわてて2台のカメラをつかみ脚立によじ登った。「ついにきたのか。。。」目前におこっている事態がいまだに信じられなかったが、どうやらまさかと思っていたことがおこったようだ。アメリカ政府および移民局が強行的にエリアン君をこの家から移動させる策にでたのだ。ストロボのスイッチを入れ、僕は脚立の上から状況をうかがいながらシャッターをきり始めた。ラザロ家の親戚か友人らしき数人が裏庭で捜査官に銃口を突きつけられ地面に伏せっているのがみえる。まるで兇悪犯から人質を救出するかのようなこの作戦を眼のあたりに、僕は自分の心臓が高鳴ってくるのを感じる。当然のことながらここで狙う写真は1枚、エリアン君だ。これだけは絶対に逃すことはできない。しかしエージェントがエリアン君を連れて正面玄関、それとも裏口のどこからでてくるかは見当がつかなかった。幸いなことに僕の脚立の位置からは、少しの障害物はあるもののなんとか両方の出口をカバーできる。僕は息を呑みその瞬間を待つ。「きた!!。。。」エリアン君を抱きかかえた女性捜査官が、正面玄関から走り出てきた。ファインダーを通してみたエリアン君の表情は、泣いているのか、叫んでいるのか、恐怖で引きつっている。エリアン君と捜査官がバンに乗りこむと「ビンゴ、ビンゴ!!」(任務遂行の合図)の叫び声が上がり、猛スピードでバンは走り去って行った。なんとか数フレームをものにできた。後でわかったことだが、任務遂行に要した時間はものの3分程であったという。僕にとっては、これまでの長い3週間の苦行?の結果の凝縮された、実に重みのある一枚をものにした3分間となった。
エリアン君が実の母親と共に小型ボートで、アメリカに向けキューバを脱出したのが昨年の11月22日。翌日ボートは転覆し、エリアン君の母親を含めた11人が死亡。エリアン君はボートに積んであったタイヤのチューブにつかまりフロリダ沖を漂流しているところを、釣に出ていた2人のアメリカ人に発見された。アメリカ連邦移民局は、エリアン君の法的立場を決定するまで、マイアミにすむエリアン君の親戚ラザロを親権者とみなし、一時的に彼にエリアン君を引き渡した。しかしその直後に、キューバに住むエリアン君の実の父親であるウァン・ミゲル・ゴンザレスが息子をキューバに戻すようにと要求をおこす。アメリカの移民局もこれを認めエリアン君を実の父親に帰すことを決定するが、マイアミの親戚側はエリアン君をキューバに帰すことには同意せず、エリアン君の政治的亡命を求めて立ち上がった。ここから、エリアン君をキューバにいる実の父親のもとに帰そうとする移民局とラザロを始めとする親戚側との間で、エリアン君の行く末をめぐる長い攻防が始まった。数ヵ月間にわたり、政府とラザロの間で交渉が続けられたが合意は得られず、しびれをきらせた父親のウァン・ミゲルが、4月はじめに渡米。さらに続けられた交渉も成果をみせず、遂に政府が強行的にエリアン君をラザロの手からウァン・ミゲルに引き渡した、というのが大筋だ。
しかし、いったいどうしてこんな事態に陥ってしまったのだろう。普通に考えれば、エリアン君は実の父親と一緒に暮らすのが一番幸せだと思うのではないだろうか。ラザロ達も、エリアン君を父親のもとに帰すことについて異を唱えている訳ではない。彼等が抵抗を示しているのは、エリアン君をキューバに送り帰すという点についてなのだ。リトル・ハバナの多くの住人達はキューバからの難民、そしてその子供達だ。彼等はアメリカで生活することがエリアン君にとって最も幸せなことだと心から信じている。たとえ父親と一緒でなくても。。。である。それだけ彼等のカストロ政権に対する不信感は強い。いや、不信感どころか、難民達はカストロを心底憎んでいるといっていいだろう。1959年のキューバ革命以来、反米・社会主義を基本に独裁者として君臨してきたフィデル・カストロ。彼の独裁に耐えきれず、多くの人々がエリアン君と彼の母親のように、イカダやボートに乗って、命をかけてアメリカを目指しキューバを脱出してきた。そんな苦汁を舐めてきた彼達にとって、この6歳の少年をみすみすカストロのもとに帰すことなど人道的に考えられないのだ。また彼等は実に信仰深い人達でもある。カトリック信者である彼等は毎日の様にラザロの家の前に集まり、慣れない僕にとっては一種異様に感じられるほど熱心に、エリアン君のために一日中祈りを捧げていた。このような彼等の信仰深さや政治背景が複雑に絡み合って、今回のエリアン君のケースは、単なる親権の問題を超えて政治的問題へとふくらんでしまったのだ。
エリアン君の場合、カストロが公式にこの少年をキューバに帰すようアメリカに要求したこともあって、全国的ニュースとして脚光を浴びることとなったが、取り沙汰されないだけでこんな事件は頻繁に起こっているという。キューバの地を踏んだこともなく、国の情勢に精通しているわけでもない僕には、カストロ政権について批判やうんちくをたれる資格はない。ただ、エリアン君のように難民となって家族と離れ離れになってしまう子供達は今でも後を絶たない、という現実は存在する。特にここリトル・ハバナには、肉親との絆を断ち切られた無数のエリアン君が故郷に残された親を思いつつ日々を暮らしているのだ。