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1999年9月1日
ロクスベリーにあるプレスベテリアン教会はこの日、その収容人数を大きく上回る人々でごった返していた。集まったのは皆、数日前に就学先のアトランタで殺された18歳のパトリース・ラシターさんに最後の別れを告げにきた人達である。九月にはいったとはいえまだ湿気の多い夏の余韻は続いており、冷房設備がないうえに、入り口までびっしりと参列者で埋め尽くされた教会内の空気はねっとりと肌にまとわりついてくるように重い。葬儀が始まる前から、パトリースさんの友人であろう若い女性達が涙し慰めあっている姿が眼についていたので、今日はかなりエモーショナルな葬儀になるだろうなとの予感はあった。葬儀がすすむにつれ、ところどころから洩れていたすすり泣きの声はだんだんとその音量を増し、とうとうこらえ切れずに一人の女性が悲痛の絶叫をあげた。連鎖反応のように叫び声は続き、遂には式が一時中断されるほどに教会内の悲しみは昇まっていったのだった。
パトリースさんは、ボストン・イングリッシュ・ハイスクール時代からの親友であったモニーク・ブラウンさん、ショーナ・アレンさんの二人と生活を共にしていたアパートの一室で殺された。彼女達はどこへ行くにもいつも一緒という親しい間柄で、進学先もみな同じアトランタにある大学を選び、アパートまでもシェアするというという程の徹底した仲良し3人組であった。そんな彼女達に向けて引き金をひいたのは21歳のジェイソン・ピアース。彼もまたイングリッシュ・ハイの卒業生だが、彼は犠牲者の一人、ショーナさんの6年来のボーイフレンドであり、他の2人とも親しく、皆で連れだってよくレストランや映画にいくような仲であったという。弾丸を頭に受けたパトリースさんは即死、モニークさんは運ばれた病院で数日後に死亡、ショーナさんは弾が口を貫通したが、かろうじて命は取り留めた。一体どんないきさつがあってピアースが銃を彼女達に向けることになったのか、今の時点では情報が乏しすぎるが、彼は学業の面ではかなり優秀で、頭の切れる生徒ではあったようだ。その反面、絶えずトラブルに足を突っ込んでいて、ドラッグの密売、銃の不法所持、さらには発砲事件までをもおこし逮捕されたことも経歴もあるという。事件の真相解明は公判を待つよりないが、その原因はなんであったにせよ、彼が銃さえ持っていなければ、少なくともパトリースさんとモニークさんの命は失われずに済んだのではないだろうか。。。
アメリカン・カレッジ・オブ・フィジシャンズのレポートによると、西暦2003年までに、アメリカにおける銃による死亡者の数は交通事故によるものを抜いてトップになるだろうと推測されている。(ちなみにこれは病気による死亡者は含まない)特に19歳以下の若者の間での銃による死亡者数は年々増加しており、自殺、殺人(故意でないものも含む)を含めると、年に5千人以上の若者が銃によって命を奪われている。これは、アメリカの子供達が銃によって死ぬ確率が、他の先進国に比べてなんと12倍にもなっていることを示している。
現在、アメリカの家庭の35パーセントにおいて少なくとも一丁の銃が保持されているという。これはいいかえれば3軒のうち1軒の家庭に銃があるいうことだ。銃を持っている人間がこんなにごろごろしているなんてぞっとしてしまうではないか。運転中のちょっとしたいざこざや、酒場での喧嘩など、些細なことでも一発かまされてしまいかねないのだ。実際に発砲事件や殺人などこの国では日常茶飯事の出来事だろう。
アメリカにおいて、いままで野放しにされてきたこの殺人凶器の普及は、人々のモラルの低下を伴って現在の僕らの生活を大きく脅かしている。そして子供達はそんな社会のなかで生きることを余儀なくされているのだ。まだ記憶に新しいコロラド州コロンバイン高校での大量殺人事件をはじめとして、学内での発砲、銃の所持は後を絶たない。教育の荒廃、家庭内でのしつけの欠如、など若者の銃犯罪の根本的要因は深いところに根差すのだろうが、何よりも、この国には銃がありすぎるのだ。それも子供達が簡単に手に入れられるところに。。。
もともと力ずくで先住民から土地を奪い、暴力を根底にした開拓者精神でもってつくりあげられたのがアメリカだ。弱肉強食のその歴史のなかで、彼等にとって銃は自分達を守るための必需品であった。現在でも、銃の所持を自分を守る「権利」として主張するアメリカ人は少なくないし、そもそも憲法第2条によってアメリカ市民は武器の保持を認められているのだ。このような歴史的背景から考えれば、アメリカ政府が銃に大幅な規制を加えることにてこずっているのは理解できる。NRA(ナショナル・ライフル・アソシエーション)のように政治的に大きな権力をもっている銃保持支持団体の存在などは、銃の規制に対する特に大きな障害となっている。しかしNRAのガン・マニア達は、自分達の子供が学校で撃ち殺されたとしてもなお銃の規制に反対するのだろうか。それとも、彼等のことであるから、「眼には眼を」で、犯人に報復をするのか。。。まあそのためには彼等に銃が必要になるわけだけれども。。。
パトリースさんの葬儀の最中、多くの友人達が別れの言葉を述べたが、共通していたのは彼女のとびきり明るい性格を称賛していることだった。高校で、”クラスのピエロ”と形容された彼女のことを友人の一人は回想する。「パトリースはいつも私を笑わせてくれた。自分がどんなに落ち込んでいたときだって、悲しんでいるときだって関係なかった。彼女はいつも私をハッピーにしてくれた」パトリースさんと同級で、今秋から大学へ行くことになっている友人の一人は式の壇上で彼女の決意を語った。「私はこれからの大学生活4年間をパトリースに捧げます。4年後に卒業するとき、私は卒業証書を彼女のためにもらいます。そして彼女がなりたかったような作家になります。。。私は今ここで、手を上げてこれを神に誓います。。。」大学生としての初授業を一週間前に控えていたパトリースさん。そんな彼女の人生も、たった一発の弾丸のために、あっけなく幕を閉じたのだった。
銃というものが非日常的であった日本に育った僕の眼には、このアメリカの「銃社会」は脅威的に映る。個人的な感情としては、猟などで生計を立てている人が所持する以外には、僕は銃なんてものは社会から無くなってしまえばよいと思っている。しかし現実的にここまで銃が一般社会に浸透してしまうと、いまさら政府がどう規制しようと後の祭りに過ぎないのでは、といった悲観的な気持ちになってしまうのも事実だ。大戦後、まるでアメリカの植民地の如く、特に文化の面ではすっかり侵食されてしまった日本ではあるが、少なくともこの銃問題についてはアメリカを反面教師として、その二の轍を踏まないことを祈るのみである。
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