2000年5月

  千代崎満子

「正義の道には命がある、しかし誤りの道は死に至る。」箴言12:28
 最近日本語のニュースを見ていると、多くの犯罪が子供たちによって犯されている
状況が目に付きます。最近に始まったことではないのでしょうが、犯罪の低年齢化に
は驚かされます。「何故このようなことになったのか、」「もっと早くなんとか手を
打てなかったのか、」「あれが悪いのではないか、」「これが原因でこうなったので
は、」など、多くの大人たちが議論を展開します。しかし、「では、どうすればよい
のか」という問いに答えることのできる人が少ないのも事実です。サカキバラ事件の
あとで高校生たちを集めた討論会が行われ、その中である一人の少年が「何故人を殺
してはいけないのかが分からない」と言ったそうです。その問いに答えることができ
る大人がいなかったという事実はその質問以上にショックなことでした。子供をしっ
かりと導くべき大人が、実は迷い、悩んでいるのです。一人の人格を育て上げていく
ということは、想像以上に知恵と忍耐力が必要です。その知恵と忍耐力を一体私たち
はどこから受け取ればよいのでしょうか。自分の中にはそれらが無いことは自分が一
番よく知
っています。何も気づかないふりをして刹那的に子育てをすることも可能です。しか
しその結果ははっきりとしています。「誤りの道は死に至る。」のです。子供が幼い
内から正しい価値観、善悪の基準、他者への思いやりなど、良いものを教え、また導
きたいと願います。それには私たちを造られた神様に知恵をいただきながら、自らの
足りなさを認め主に補っていただきながら、子育てをする事が大切です。多くのお母
さんたちが悩んでいる現状を目にする度に、「ここで知恵をいただいてください!」
と叫びたくなります。お母さんたちだけではありません。神様は子供たちを男女の結
びつきによって与えて下さいました。それにはちゃんとした意味があります。お父さ
んが子育てに関与しなくてもいいと聖書は教えていません。子供たちは父親の中に神
様の姿を見て育ちます。もし自分に無関心な父親の元で育てられたなら、その子供は
「神とは、自分を愛さないどころか無関心で、自分がどうなろうと関係ないという態
度のお方だ。」という神観が身に付いてしまいます。そして神様を一番必
要としているときに、その空洞を他のもので満たそうとします。私たちは親として、
子供たちにもっとも良いものを与えてやりたいと願ってはいても、犯罪者にしてやろ
うとか、どうなってもよい、などとは決して思っていません。だからこそ、今、私た
ち親が心の目を開いてしっかりと子供たちを見つめ、正しさ、愛、知恵の根元である
方を仰ぎつつ、委ねられている子供たちを育てていきたいと願います。子供たちと大
人たちが真理に出会い、正義の道を歩んで命を得ることができるようにと祈ります。

2000年1月

「CSの秘密」 By天野みちる
CSはChildren's
Serviceという意味だと分かっていても、実際にCSでは何をやっているのだろうい
る人が実はいるのではありませんか?又、CSの奉仕をしている人でも、このCSの
教えを通して子供たちは何を学んでいるのだろう?とふとした時に思う人もいるかもしょれません。今回のJOY通信では、CSで育った者として、少しCSの秘密を明かそうと思います。
秘密その1 「平安が与えられる所である」
CSでは賛美や暗唱聖句をします。子供たちは若い。と言う事は、物覚えも良い。大
人になってから聖句を暗唱しようとしても、結構時間がかかります。でも子供はそんなのへっちゃらなのですぐに覚えてしまいます。私は人と比べるとあまり子供の時の記憶がないのですが、そ
れでもCS、又その教会がやっていた幼稚園に通っていた時に覚えた聖句や歌などはほとんど忘れていません。そういう純粋な心で覚えた聖句を言う時、又歌う時、後にふとした時に思い出しただけでも、そこにイエス様は居てくれて、自分に平安が与えられます。こんな幸せな事ってありません!
秘密その2 「愛に溢れている所である」
特にグレンビュー教会では、多くのCSの先生達がいます。なので、いろいろ変わっ
たクラフトもCSでします。ゲームをしたり、絵を描いたり、アクセサリーを作ったりもします。そういう中でもCSの先生達を通して、神様の愛を体験する事が出来ます。事実、私が小さい時に受けたCSの先生達からの恵みは忘れられません。子供達はよく観察しています。よく「子は親の鏡」と言いますが、その逆を取ると子のしている事は親もしているという事でしょう。もし子供によく本を読む人になってほしいと思うなら、親がそういう人でなくては。もし子供にキリストの似姿になってほしいと望むなら、親も頑張らなくては。クリスチャンはみな神様にあって家族です。という事は、教会の子供はみな、教会の大人に愛されるべきです。愛を持って子供達に接した時、子供達は分かります。教会学校は安心できる場所だ、と。そしてその愛はずっと心に残るものとなるでしょう。もし、教会から離れてしまったとしても。
秘密その3「真実を知れる所である」
私にとってCSで1番大変だ、と思うのはメッセージをしなくてはいけない時です。
神様についてのお話です。いつも、どうしたらもっと分かりやすく子供に伝えられるだろう、ビジュアルが必要かな、などと思いながら準備をします。そんな思いで用意をした物でも子供は聞いてくれます。大人を尊敬しているのです。イエス様が言った「子供のように自分を低くする者が天の御国で1番偉い」という事を身を持って教えられます。そして、子供達は毎週のように神様のお話を聞くので、洗脳(?!)でもされたかのように、神様の存在を疑う事はありません。世の中の事を知るより先に真実を、人生のなかで1番大切なものを知る事ができるのです。
ハレルヤ!
1999年12月

我が家にきたクリスマス・プレゼント


三好久仁恵


クリスマスといえば、プレゼント。あるクリスマスの朝に目が覚めたら、枕もとに
ミニカーが置いてあった。どうやら、弟のものと間違えたらしい。ひとりの弟の枕も
とに、かわいいセーターの包みが置いてあった。弟も困るだろうと思って返したが、
なぜか、そのミニカーに心惹かれたことを覚えている。
幼かった頃の我が家は、何かとても大変なものを抱え込んでいるようだった。家族
みんなで笑った記憶がない。しかし、私が小学校に入ったころ、いつも日曜日の朝遅
くまで寝ていた父が朝早くから出かけていくようになった。祖父母が行きはじめた教
会に父も一緒に行きはじめ、クリスチャンになったらしいことを後で知った。
その父を理解しようと近くの教会に行きはじめた母に連れられて、わたしたち兄弟
も日曜学校に初めて行った。今までに味わったことのない楽しい雰囲気。それから、
日曜の朝となれば、兄弟で競争して教会へ走っていったものだ。そこはとても楽しい
ところ、終わってしまうと、ちょっと寂しい。
その年のクリスマスに、初めて生誕劇をした。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この
方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみど
りごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
天使の役をいただいた私は、一生懸命おぼえた。当日、お母さんに編んでもらった
お気に入りのピンクのセーターに羽根を付けて、天使をしたのだ。生誕劇を通して、
クリスマスはイエス様のお誕生日であることを知った。イエス様はおうちでもない、
病院でもない、家畜小屋の飼葉おけで生まれたことを知った。それは私たちの罪を赦
して、神の子とするため。イエス様は神様から私たちへのプレゼント。ああ、だか
ら、クリスマスにはプレゼントをもらうのかと小さいながらに納得した。
高校生になった私は、悩みの中でそのプレゼントを受け取った。何のために生きる
のか。意味を失っていた私の人生に、そのプレゼントは生きる目的を与えてくれた。
そして、私の心の中にさえもイエス様は住んでくださったのだ。あの2000年前に、飼
葉おけの中に生まれてくださったように。それ以来、私の中のイエス様は日毎に光り
輝き、希望と喜びとなってその光は増しつづけている。もちろん、困難にぶつかった
り、悲しんだりすることはあるけれど。
そして、いつの間にか私の家も喜びのある家に変えられていた。たぶん、父がこの
プレゼントを受け取ってから。