12/19/99
●コロサイ人への手紙講解:「キリスト者の霊的祝福」シリーズ
第3回 「神の御子の到来」(クリスマス・メッセージ)
テキスト: コロサイ人への手紙 1章 15−23節

主題: 神の御子が人となって来られたのは、私たちのこの地上での生涯を永遠に価
値あるものにするため。
序論:
僕は子どもの頃に、自分の誕生日には、学校も会社も休みになって、家の前には国
旗が立てられてので、こんなにもみんながお祝いしてくれていると思っていました。
家の上にはお魚の旗がなびいいているし、百貨店の地下の食品売り場へ行くと普段は
あんまり見ない柏餅とかちまきが特別に売られていたからです。5月5日が国民の休日
なのは、その日に僕が生まれたからかもしれない。心ひそかにそう思っていました。
でも、僕の生誕2000年後、だから、西暦3985年?ですか、その頃になっても僕の名前
を覚えてくれている人はこの地上には全くいないと思うんです。ま、確かに、ただ単
に歴史に名前を残すようなことなら、もしかしたらしでかすかも知れない。もしかし
たら、1億万分の一ぐらいの確率で歴史に名前を残すかもしれません。しかし、恐ら
く、100パーセント、僕の誕生日を2000年も経ってもなお、お祝いしてくれる人は、
この地上にひとりとしていないだろうと思うんですね。
クリスマスはイエス・キリストの誕生日です。ちなみに、イエス・キリストはアメ
リカ人ではありません。今のイスラエルでユダヤ人の母親から生まれました。僕が生
まれたとき、家の近くの大きな病院がいっぱいで、小さな町の産婦人科で生まれたそ
うです。イエス様がお生まれになったのは、そんな町医者もいない様なところでし
た。ベッドもありませんでした。生まれたばかりのイエス様は、家畜のための飼い葉
おけに寝かされました。いまから約2000年前のイスラエルの田舎で生まれた赤ん坊の
誕生を、世界の多くの人々がいまだに毎年お祝いしています。それはなぜでしょう
か。それは、このイエス・キリストによって、この約2000年のあいだ、数えることの
出来ないほど多くの名もない人々が、この地上での限られたわずか100年にも満たな
い人生を、永遠に失われることのない、価値のあるものとしていただいたからです。
では、どうしてイエス・キリストはなくなった後も、この2000年間、多くのイエス
・キリストを信じて生きた人々の人生を永遠に価値のある、素晴らしいものにするこ
とが出来ているのでしょうか。
今朝は、先ほど読んでいただいた新約聖書コロサイ人への手紙1章15節から23節の
ことばから、その3つの理由についてお話したいと思います。

1. イエス・キリストは宇宙の創造者であるからです。(1:15−17)
「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方で
す。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるも
の、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によっ
て造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立って
います。」
この宇宙の創造主である神は、私たちの目には見えません。しかし、歴史上、唯
一、2000年前の約33年間、イエス・キリストがこの地上を歩まれた間だけ、人間は目
に見えない神を目に見える形で見ることが出来たのです。2000年前にイスラエルの田
舎で生まれた赤ん坊は、単なる人間ではなく、この宇宙の創造主であり、天にあるも
のも、地にあるものも、目に見えるものも見えないものも、あらゆる霊的な権威も
いっさいはこのイエスによって作られたのです。
日本では最近カリスマということばが流行っているそうです。カリスマ美容師と
か、カリスマ経営者とかという言い方がされるそうです。人を引き付ける不思議な魅
力を持っている人のことを言うんだと思いますが、このカリスマ性ということからす
れば、イエス・キリストは究極のカリスマ。いろんな宗教の創始者がこの自然のパ
ワーを得ていろんなことをするかも知れませんが、イエス・キリストはそれらの力を
創造された方ですから、もうカリスマもカリスマ。その源、権化のような存在でし
た。多くの病人を癒し、悪霊を追い出し、何千人という人たちに一度に食事を与え
た。イエス・キリストに比べれば、どんなにものすごいカリスマもしょんべん小僧で
す。それもそのはず、イエス・キリストはいっさいのカリスマの元締めなのです。当
然ですね。宇宙の創造主なんですから。
ですから、宇宙の創造主であるイエス・キリストは、私たちの人生を永遠に価値あ
るものにすることが出来るお方なのです。

2.十字架で死んでよみがえった救い主だからです。 (1:18−20)
それでは、どのようにして、イエス・キリストは、信じる多くの人々の人生を永遠
に価値のあるものにすることが出来るのでしょうか。そのために、イエスは何をした
のでしょうか。聖書に戻って、18節から20節を見てみましょう。
「また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中か
ら最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものと
なられたのです。なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のう
ちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と
和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって
和解させてくださったのです。」
イエス・キリストはその33年の生涯の最後に、十字架にかかって死にました。しか
し、ただ死んだだけではなく、3日目に死者の中からよみがえられ、その後天に昇っ
ていきました。イエス・キリストだけが、この宇宙の外側からこの地上にやって来た
かたです。しかし、それだけでなく、イエス・キリストだけが罪のない人生を送り、
他人の罪のために死に、イエス・キリストだけが死者の中からよみがえり、天に昇ら
れたのです。
神は、この世界を創造し、私たちに素晴らしい人生を与えてくださろうとしてこの
地上にいのちを与えてくださいました。しかし、私たちは神の恩を仇で返すような生
き方しか出来ないでいるのです。神の御子が人間となってくださったのは、人間が神
の御子となるためなのです。つまり、人間の身代わりとなるために神が人となられた
のです。最初の人間アダムが神の子どもとしての身分を捨てたために、以後全ての人
は神の子どもではなくなってしまいました。しかし、神の御子イエス・キリストが人
間となることによって、その身分を人間にもう一度与えようとされたのです。
よし松親分の話し。
日本の有名なやくざに清水の次郎長がいますが、子に次郎長親分の子分のひとりに
よし松という人がいました。この方は滋賀県の大津市で肉屋をしていたそうです。こ
のよし松
が死ぬ一週間前にになって、息子さんがあるアメリカから帰ってきたばかりの牧師の
ところにやってきて、うちの親父にぜひイエス・キリストの福音を聞かせてやって欲
しいといって頼んできました。でも、この牧師さんは、そんなやくざ崩れの男にキリ
スト教の話しをしてもわかるまいと言ったのですが、よし松さんの息子さんは、どう
か死に掛かっている親父に最後の話しをと引き下がりません。そこで、その牧師はよ
し松さんの枕元に来て、言いました。「天に神様がいて、我々人間はみんな神様に造
られた神の子です。それなのに、人間は神様に背き、罪を犯しました。けれども、慈
悲深い神様は、その人間を赦そうと考えた。でも、罪は罪としてどうしても処罰しな
ければならない。そこで、自分のひとり子であるイエス・キリストをこの世にお遣わ
しになった。そのイエス・キリストは、人間の罪を全部自分がひっかぶって、十字架
にかかって死んでくださった。この人間の身代わりになってくださったイエス・キリ
ストを信じるなら、どんな者でも赦してもらえるのです。」
で、病床でその話しを聞いていたこのおじいさんははっきりと言ったそうです。
「先生、ようわかりました。」それを聞いた牧師の方があんまりあっさり言うもので
びっくりしたのですが、このおじいさんはこう言いました。
「わしのようなやくざなものでも、自分の子はかわいいもんです。これに子分たちも
かわいい。もし子分が何かしでかしたりしたら、わしはその子分をもらい下げにいく
ために自分の子を身代わりに差し出すようなことも致します。わしはこれまでずいぶ
ん悪いことをしてきました。天の神様、きよい神様の前に出られるような身分ではご
ざいません。しかし、こんな者のためにもご自分のひとり子を世界に送ってくだすっ
た。そのイエス・キリスト様がわしらの身代わりになってくださったと聞いて、安心
しました。これでもう思い残すことはございません。ありがとうございました。」
なぜ、このやくざの元親分がいともあっさりとイエス・キリストを受け入れたので
しょうか。それにはわけがあるのです。
滋賀県の大津市は今でも県庁所在地ですが、ある時、県庁を大津から彦根へ移すと
いうことが県会議員の間で話しわれ、次回の議会で正式に取り上げられ、可決される
だろうということになりました。そのことを知ったじもとの大津では大騒ぎになりま
した。県庁が移ってしまえば、大津の町が寂れてしまいます。郷土愛に燃える大津の
人たちは、何とかしてそれを食い止めようとして必死になります。しかし、情勢は彦
根行きに傾き、県議会が開かれれば可決されるのは時間の問題となり、とうとうその
日がやってきました。
その時、よし松の子分300人が県庁へと向かいました。議場へと殴り込みをかけた
のです。一瞬で大混乱となり、知事も議長も青くなって窓から逃げ出し、その日の議
会は休会となってしまいました。その代わりその殴り込みをかけた300人は捉えられ
て警察にぶち込まれ、裁判所に送られることになりました。
そのことを知ったよし松親分は、子分たちの家には親や兄弟、妻子もいる。平均一
家5人として、このままでは千数百人の生活が路頭に迷うことになる。自分が命じた
のではないが、責任はこの自分にある。そう考えたよし松親分はすぐに裁判所に駆け
つけたそうです。
「あいつらがあんなことをしたのは、このわしの責任です。わしが命令しました。
あいつらはわしの命令を拒むことが出来ないのです。罪はこのわしにあるのです。ど
うぞこのわしをお縄にしてください。その代わりあいつらを釈放してください。お願
いします。」
こういって、子分たちの身代わりとなったよし松さんは、12年の刑を受けたという
ことです。この自分の身代わりの経験が、イエス・キリストが自分の身代わりとなっ
てくださったということをあっさりと納得させたのです。

3.信じる者の人生を造り替える生ける変革者だからです。(1:21−23)。
ですから、このよし松親分のように、福音のことばを聞き、それを信じることに
よって、誰でも神の国に属するものとなることが出来るのです。そのためには、イエ
ス・キリストが自分のために身代わりとなって死んでくださったということを信じな
ければなりません。信じなければ、それは絵に描いたもちと同じです。
聖書に戻って、コロサイ書1:21−23にはこうあります。
「あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあっ
たのですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなた
がたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非
難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。ただし、あなた
がたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれ
ることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべて
の造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者と
なったのです。」
さて、もうすぐ年末ですが、あるところに大きな借金を抱えている男がいました。
株で失敗したあとで借金して買った家の土地の値段が下がり、挙げ句の果てに会社を
レイオフされてしまったのです。奥さんには子どもも家も取られ、手元に残ったのは
借金だけ。しかし、失業中の身でその借金を自分の力では到底返すことが出来ない。
このままでは年を越すことが出来ない。後は夜逃げか自殺しかないというような状況
になりました。でも、自殺するには勇気がない。今夜にも夜逃げをしようとしていた
ある日、郵便物が届きました。何だまた請求書かと思って、初めはみるのもいやだと
思ってました。しかし、なんとなく気になって、恐る恐るその封をきって中を開けて
みたのです。何と、そこには、「おめでとうございます。あなたに100万ドルがあたり
ました。」という手紙とチェックが入っているではありませんか。しかし、この男は
考えました。いや、これは何かの間違いだ。こんな上手い話しがあるはずがない。良
くあるじゃないか、小さく何か条件が書いてあるに違いない。もし、どこどこに来て
くじにあたったらとか。それがあたる可能性がありますとか。もしかしたら、何かや
ばい仕事に強制的に働かされるかもしれない。その手紙の隅々まで探しましたが、ど
うしても何も見つかりません。それどころか、そこには、注意書きとして、「無条件
であたります。あなたがしなければならないのはただこのチェックにサインして銀行
に持っていくだけです。」と書いてあるではありませんか。それを読んでもこの男は
どうしても信じられません。いやいや、このチェックは偽物に違いない。銀行に持っ
ていっても、どうせ換金できないし、支払いが出来なかったら25ドルの手数料まで取
られる。この男、何万ドルという借金を抱えているのに、そんなせこいことを考えま
した。第一、こんなことをしてもらうような義理は俺にはない。借金を抱えている俺
を馬鹿にして誰かがこんなでっち上げをしているんだ。いい加減にしろ、と怒り出し
ました。俺は今まで一生懸命自分の力で生きてきたんだ。これからだって自分の力で
やっていける。その男は、そのチェックと手紙を破り捨ててその夜遠い町へ逃げてい
きました。
私たちがどれだけ高額のチェックをもらっても、そのチェックにサインをして、銀
行に持っていかなければ、それはただの紙切れです。イエス様は、十字架で死んで、
私たちの身代わりとなってくださいました。ですから、私たちは神の前に無条件で救
われることが出来ます。しかし、人間はそれが信じられない。そんな馬鹿なと思うわ
けです。ただほど恐いものはない。と思ってしまうのが人間なのです。ですから、イ
エス・キリストは、十字架で死んだだけではなく、死者の中からよみがえって、信じ
るならば救われるというこのメッセージが本当であるという証拠をお示しになったの
です。ある人たちは、この救いの小切手をもらっても、いつか必要になったら使おう
といって、サインせずに取っておく人がいます。しかし、チェックも半年くらいほ
おっておくと換金できなくなるように、私たちの人生には限りがあるのです。いつ私
たちが死んでしまうかわからない。ですから、今日という日に、イエス・キリストを
信じて新しい人生を始めることがもっとも得策なのです。チェックは早く換金すれ
ば、それは自分のものとなって、利子も入るし、投資も出来るのです。しかし、多く
の人々は、イエス・キリストを信じて永遠の神の国に属するものとなるよりも、この
地上のわずが100年足らずに人生にしがみついているのです。
結論
2000年前にイスラエルでお生まれになり、飼い葉おけに寝かされたイエスというこ
の赤ん坊は、宇宙の創造主であり、全人類の救い主として、その生涯のおわりには十
字架にかかって死に、三日目によみがえりました。しかし、その救いを受けるには、
信仰が必要です。イエス様は、2000年前にご自分でこの地上に住んでくださったよう
に、今も、信じる人々の中に生きてくださるのです。私たちのやがては滅び行く、死
に行く体の中に生まれてくださり、罪に満ちた人生を造り替えて永遠に価値ある使命
を与えてくださるお方です。
宗教は人を縛ります。しかし、イエス・キリストを信じるならば、神は、宗教や、
物質主義や、会社教や、プライドや罪に縛られている人間を解放し、本当に意味のあ
る、本当に豊かな、本当に喜びに溢れる人生へと導きいれてくださるのです。イエス
・キリストを信じるのは、単に天国に入る保証書を得るということだけではありませ
ん。それはあくまでも結果です。この地上での生涯が永遠の意味を持つものと変えら
れるのです。
私がインタビューした日本の大企業の中間管理職の方で、あるクリスチャンの方が
います。このかたは40代になってからイエス・キリストを信じる人生に入れられ、今
も同じ会社で働きながら、多くの人たちにイエス・キリストの素晴らしさを伝えてお
られる方です。この方は私に、いつクリスチャンになられましたか、と聞かれまし
た。私は高校2年生のときですと応えると、本当にうらやましい。僕はもっと若くし
てクリスチャンになりたかったと言われました。
もちろん、死ぬ前に信じても、若くして信じても、天国にはいけるでしょう。しか
し、この地上での人生、たった一度しかないこのかけがえのない人生の意味が違って
くるのです。誰でもキリストにあるならば、その人は新しく作られたものです。
お金や、名誉や、繁栄や、幸福という宗教に縛られて後残された数十年の人生を空
しく生きるのはやめて、あなたも、あなたを愛し、あなたのために、人となられ、十
字架にかかって死に、三日目によみがえり、そして今も生きておられるこのイエス様
を信じる、永遠に意味のある人生を生きてください。
イエス・キリストはあなたにとってどういう存在でしょうか。イエス様はなぜこの
地上に来られたのでしょうか。それは僕のためです。神はそのひとり子をお与えに
なったほどに世を愛された。それは御子を信じるものがひとりとして滅びることな
く、永遠のいのちを持つためなのです。
みなさまの上に神様の祝福があるようにお祈りします。