礼拝説教 11月19日子供祝福式
子供向け説教 「ヨルダン川を越える」
先週までのお話を覚えていますか?(ちょっとだけ子供とやりとり)。
さて、モーセさんにつれられてイスラエルの人たちはエジプトから救い出され、神様が下さる約束の地を目指して旅を続けてきました。荒野を越え、山を越えて来ました。最後の山に登ると、向こうに川が見えます。ヨルダン川という川です。この川の向こう側が約束の地です。あと少し。ところが、困ったことが起きました。もう、モーセさんがここから先に進めないというのです。
「ワシはもう神様の所に行く」
「モーセさん、そんなこと言わないで、一緒に約束の地に行きましょうよ」
「いや、神様が、ワシはここまで、とおっしゃったのじゃ。後はお前たちだけで行き
なさい」
「えー。モーセさんが連れていってくれなければ無理ですよ」
「大丈夫。これからはワシの代わりにヨシュアがお前たちを導くのじゃ」
こうして、ヨシュアさんが新しいリーダーになりました。でも、ヨシュアさんはちょっと心配です。
「大丈夫かなー。ボクがリーダーなんかできるかな。イスラエルの人たちをみんな連れて行けるかな。どうやって川を越えたらいいんだろう。川を越えても、向こう側には怖い人たちがいっぱいいるか
もしれないし。どーしよう。」
ある日、ヨシュアさんに神様が声をかけました。
「ヨシュア」
「はい、神様、何でしょうか」
「恐れてはいけない。勇気を出しなさい。お前がイスラエルを約束の地に連れていくのだ」
「でも、私に本当にできるでしょうか」
「大丈夫。私がお前と一緒にいる。モーセを助けたようにお前を助ける」
「分かりました。じゃあ、神様、あなたがおっしゃる通りにします。」
こうして、ヨシュアさんはみんなを連れて、山を越え、ヨルダン川の所まで来ました。
ヨルダン川ってどんな川だったでしょうか。もちろん、橋はありません。でも、こんな小さな川だったら飛び越えられますね。浅い川だったら歩いてわたれます。ところが、そのときのヨルダン川は、雨が降って水が増えました。
雪も解けてたくさんの水がごうごうと流れています。大きな川になっています。強い人でも、泳ぐのは大変です。もちろん、子供たちには歩いて渡るのは、無理です。
「どうしよう、水が少なくなるまで、ここで待っていようかな」
「ヨシュア」
「はい、神様。何でしょう」
「あと、三日したら、この川を歩いて渡りなさい」
「はい、分かりました」
さあ、大丈夫でしょうか。ヨシュアさんはみんなを並べました。一番先頭は、神様からいただいた十戒の板が入っている箱を担いだ人たちです。そして、いよいよ川を渡る時が来ました。先頭の人が足を挙げました。水の中に入ります。
「あぁ。やっぱり、怖い。こんなすごい流れじゃあ、おぼれちゃうかもしれない。でも、前にすすまなくちゃ。でも、やっぱり怖いなあ。そうだ、神様が勇気をだしなさい、っておっしゃったっけ。よ
し、怖いけど、進んでみよう。」
足を挙げました。水の上に足を出しました。でも、水はゴウゴウと流れています。怖いなあ、どうしよう。よし、勇気をだすんだ。足をおろします。足を水にいれました。すると。「あれ、水が減っていく。どうしたんだろう」
向こうの方を見ると、水が壁のようになってそこで止まっています。そして目の前の川は、どんどん水が少なくなって、少なくなって、とうとう川の底が見えてきました。先頭の人が進んでいくと、川の水は無くなって、川底が乾いて来ました。そして、みんなが後から歩いて行きます。
「そうだ、思い出したぞ。エジプトから救い出されたとき、モーセさんと一緒に海を渡ったっけ。あのときも海が分かれてあるいて渡った。やっぱり、神様が一緒にいて下さったんだ。だったら、大丈夫だ。これからも、強い敵がやってきても、怖いこと、困ったことがあっても、神様が一緒にいて下されば、絶対に大丈夫。神様を信じて行こう」
こうして、イスラエルの人たちは無事にヨルダン川を越えることができました。そして、神様がヨシュアさんと一緒におられることが分かりました。これからは、ヨシュアさんがリーダーです。
みんなは、困ったことや難しいことがあったら、どうしますか。こんなこと無理だよ、って止めちゃいますか。神様はみんなにも、「一緒にいるよ」って行って下さいます。だから、勇気を出してやってみましょう。ちょっと、怖いときは「神様、助けて下さい」って、お祈りしましょう。そして、これからも、神様を信じていきましょう。神様はみんなと一緒にいて下さいます。
お祈りしましょう。
では、こんどは、大人の人たちにお話しします。いつもの、ながーいお話じゃあなくって、今日のは短い話だから、
みんな、静かに待っていられるね。
大人向け説教 「信仰と勇気」
今日のお話の中で、水が止まった所だけを聞くと、ああ、奇跡か、と思われるかもしれません。信仰っていうのは、結局、奇跡を期待することなのか。いえ、私たちは奇跡を信じるのではありません。奇跡を行うことのできる神様を信頼するのです。神様が共にいて下さるなら、神様は必要なら奇跡を行うことももちろんできますし、奇跡ではなくても、様々な形で私たちを助けていて下さいます。大切なのは、共におられる神様に信頼することです。勇気を出しなさいとおっしゃる神様の言葉を信じることです。クリスチャンの勇気は信仰に基づく勇気です。
でも、実は「信じる」ということ自体、勇気のいることかもしれません。信仰なんて勇気の無い人のすることだ、なんて考える人もいますが、とんでもない。状況が悪い中で、目に見えない神様を信頼し、神様の言葉である聖書を頼りに、前に進んでいく。端から見たら、勇気が無ければできないことです。
旧約聖書では、「信じる」という動詞としてバタハというヘブル語が使われます。私の父が初孫を散歩につれて行きました。公園に行くと、ジャングルジムがあります。子供は高いところに登ってみたい。ちょっと怖いけど、助けてもらいながら上まで登りました。でも、今度は降りられません。すると、おじいちゃんが下から手をさしのべて、「こっちに来てごらん」。すると孫は、おじいちゃんのほうにピョンと体を投げ出します。すると、おじいちゃんはそれをしっかりと受け止めて、地面におろして挙げました。相手を信頼して自分の体を相手の手にバタっと投げ出す。それがバタハ、信頼です。でも、孫が目に見えるおじいちゃんを信頼するなら良いけれど、神様を信頼するのは難しく感じるかも知れません。それは、目に見えないお方だから、です。
普通、世の中では、目に見えるモノを信頼します。愛とか人間関係が大切、なんて言葉だけ。やっぱり、土地と金が一番頼りになる。それが十年前の日本でした。ところが、その目に見えるモノがどれほど信頼できないかを私たちは思い知らされました。世の中に「これは大丈夫」と言えるモノは、実は何も無いのです。
それに対して、神様は目には見えないけれど、何よりも確かなお方です。神様の言葉である聖書も、いつまでも変わらないものです。この、揺るぐことの無い神様を土台として生きる、それがクリスチャンです。
子供たちに、間違ったモノに信頼することを教えるような行き方を大人がしてはいけない。神様を人生の土台として、神様に信頼しつつ、何事でも勇気を出して行う。そんな人になって欲しいと思います。今日は、この後、子供祝福式を行います。その祝福とは、いつか崩れてしまうようなモノがたくさん与えられるように、という祈りではありません。何よりも信頼しうる神様が共にいて下さるように、という祈りです。そして、子供も大人も、この神様に信頼すること、それを一緒に祈ろうではありませんか。