2000年7月23日

 「呪いをうち破る神」 民数記22-24章
序.今日これから学ぼうとしています民数記の22章から24章というのは聖書の中でも大変に奇妙な箇所です。今
まで重要な働きをしてきたモーセも、またイスラエルの民も出てきません。名前は出てくるのですが姿は遠くから見
えるだけです。そしてイスラエルの知らないところで事件が起きました。なぜ、そんな記事がこの書物の中に出てく
るのかと疑問に思った人も少なくありません。しかし、聖書の本当の主人公はモーセでもイスラエルでもなく神様で
す。この箇所から神様がどのように神の民を救いなさるのかを学ぼうと思います。
 この箇所には他に登場人物が二人います。同じような名前ですので、よく注意しないと訳が分からなくなりそうで
す。一人の名はバラク、もう一人はバラムです。よく似ていますね。バラクの方はモアブという国の王様です。バラ
ムの方は占い師のようなことをしていました。この二人に対して神様がどのようなことをなさったのかを学んでいこ
うと思います。第一に占い師バラム、そして第二にモアブの王バラクに注目し、最後にこの事件がどんな意味を持っ
ているのかをみていきます。

1.神に逆らう欲望 (22章)
 イスラエルがエジプトを出てカナンの地に近づいてきたことを聞いて、モアブの国の王様は恐れました。彼の国よ
りも強いエモリ人の国を打ち破ったことを聞いて、彼は戦いでは勝ち目がないかもしれないと考えた。そこで、彼が
考えたのは占い師にイスラエルを呪ってもらおうということでした。(占い師なんていうと昔の人は非科学的だから
などと考えるかもしれません。先日インターネットでニュースを見ていたら、占い師の広告が出ていました。雑誌を
読めば星占いだの何とか占いだのが必ず出てきます。人間はいつの時代も変わらないのです。) 王様は当時の中近
東世界で有名だった占い師を呼ぶことにしました。彼に呪ってもらえば必ず相手の国は滅びる、そう考えられていた
のです。しかも、もしかしたら王様は知らなかったかもしれませんが、この占い師はイスラエルの神に祈ることがで
きた。どんなにイスラエルが強くても、そのイスラエルの守り神が呪ったならたちどころに彼らは弱くなる。なかな
かうまい作戦です。こうして登場するのが占い師バラムです。
 7節から。王様の使いから話を聞いてバラムは神様にお伺いを立てます。すると神様は「王様のところに行っては
いけない、イスラエルを呪ってはいけない。」それで引き下がる王様ではありません。今度は前よりも身分の高い使
者を使わしました。そこでもう一度バラムは神様の前に出る。すると、今度はなぜか神様は「一緒に行け」と言われ
ました。次の朝バラムはロバに乗って出かけました。ところが神様は非常に怒られた。「行け」とおっしゃったのに
バラムが出かけたら起こられるとは、神様も変だな、と思いますね。でも、よく読んでいくと、神様はバラムの心の
中をご存じであったから怒られたのが分かります。
 最初の時にバラムは神様の意向を聞いています。王様のところに行くな、イスラエルを呪うな。そして2回目の使
者がきたとき、彼らの求めたのは前回と同様、一緒に行ってイスラエルを呪うことです。ですから答えは分かってい
たはずです。それなのに19節では、「主が私に何か他のことをお告げになるかどうか確かめましょう」。ここにバ
ラムが前とは違うことを神から告げられるのを期待していたことが分かります。つまり彼は一緒に行って、イスラエ
ルを呪いたかったのです。なぜでしょう。その動機は18節にほのめかされています。たとい王様が「銀や金の満ち
た彼の家をくれても...」。彼は報酬を得るために占いやまじないをしていた人です。神様は彼がどうしても行き
たいのをご存じで、20節の言葉を告げました。ここで神様のおっしゃっていることのニュアンスは、「そんなに行
きたいなら行ったらよいだろう」ということです。行くことが良いことだから許可されたのではありません。
 私たちが何かを願って祈ったときに神様は3種類の答えをなさいます。一つはイエス、もう一つはノー、そして後
の一つは待て、です。私たちが間違ったことを願っているとき、神様の答えはノーです。時にはそれが罪であること
を示されることもあります。それでも罪深い人間はなおも願い続ける。そんな場合、神様は時にはイエスと言われる
ことがあります。そして、そんな罪や欲望の行き着くところは滅びです。痛い思いをします。人間が罪から離れよう
としないとき、神様はその罪に気づかせるために、教訓を与えるために、そのような許可を与えられることもある。
しかしバラムの場合はさらに深い目的がありました。
 とにかくバラムは次の朝、いそいそと出かけました。内心では、これはうまく行きそうだぞ、と思っていたことで
しょう。きっと後になったら、神様は呪うことも許可されるに違いない、自分がうまく神様に言えば大丈夫だ。そん
な彼に対して神は怒られたのです。22節から。天使が現れて、剣を手にして行く手をふさぎました。でも誰の目に
もそれは見えません。ところがロバだけはそれが見えた。そこでロバは脇道に逃げ、さらに壁の方に逃げ、最後は逃
げるところがなくなってしゃがんでしまった。そのたびに怒ったバラムはロバを杖でたたきました。すると、神様は
ロバにせりふを言わせました。その時ようやくバラムにも天の使いの姿が見えたのです、しかも手にはギラッと光る
剣が。バラムは神様が彼の行動に反対であることをようやく真剣に考えました。
 バラムという人は真の神様を拝んでいました。しかし、彼の本心は自分の欲望をかなえることです。そういうとき
、たとえ祈る対象は真の神様であっても、その人のしていることは偶像礼拝と同じことなのです。偶像礼拝とは神、
あるいは神々を自分の欲望を達成するための道具にすることです。バラムはこれまで様々な方法で神々を利用してき
ました。しかし、このとき本当の神様はそんな人間の欲望を許されないお方です。欲望は真の神様に逆らうことなの
です。彼はそれを知らされました。もっともバラムは本当に悔い改めたのではありません。剣を持った天使が怖かっ
ただけです。ですから後になってから彼は違った方法でモアブの王様を助けたようです。そして最後はその罰を受け
、人間の剣で殺されたと書かれています。
 このとき神様がなさろうとしたことは、こんなバラムをご自分の目的のために使われることでした。35節で「私
の告げることばだけを告げよ」というのは、20節で神様がバラムに言ったこととほとんど同じです。しかし、ここ
で「だけ」と翻訳されている言葉は20節とは少し違います。絶対に他のことは言ってはいけないという強い意味で
す。いったい何を告げさせようとされたのでしょうか。それを次にみたいと思います。

2.罪の招く呪い (2324章)
   さて、今度はモアブの王バラクに目を留めましょう。(バラクですよ、バラムはちょっと忘れましょう)。バ
ラクはこの占い師によってイスラエルを呪わせ、それによって彼らを滅ぼそうとしました。ようやくに占い師はやっ
て来た。バラクはご馳走でもてなし、いよいよ占い師が呪いの言葉を言い始めるのを聞いていた。占い師は何を言っ
たでしょう。もちろん、この占い師は自分の言いたいことというよりも神様に告げられたことを言ったのですが。
 23章7節でことわざと言っているのは「託宣」とか「お告げ」と言った方がいいでしょう。占い師のお告げが7
節以降に出てきますが、それは一言で言えば8節です。「神様が呪わない者を、私は呪えない」。間接的に祝福して
いることです。王様は怒りました、「約束が違うじゃないか、呪ってと頼んだのに」。そこでバラクは考えました。
この場所からだとイスラエルの一部しか見えない、だからこの占い師には事の重大さが分かっていないのだ、と。そ
こでバラクは彼をイスラエル全体がよく見える所につれていきました。「ほら、こんなに数が多くて恐ろしい民なん
やから、しっかり呪ってや」。そこで2番目のお告げです。1821節。「神の祝福を覆すことはできない」。最
初は「呪えない」でしたから、1回目よりもよりはっきりとイスラエルを祝福していることになります。普通でした
らここでやめておきます、「この占い師、役に立たない」って。バラクは頭が良いのか愚かなのか分かりませんが、
また考えました。「場所が悪かったんだ」。(よく日本人が「方角が悪い」とかいうのと同じです。)場所を変えた
ら神を思い通りにできると。バラクは王でしたからお金が目的ではありませんでしたが、自分の目的のために神を利
用する点ではバラクもバラムも同じです。彼の罪と愚かさの結果はどうだったか。3回目のお告げは、さらに強い祝
福でした。呪うつもりが、3回も、いうなれば念には念を押して祝福させてしまったのです。しかも、それで終わり
ではありませんでした。気をよくした占い師は、国々の未来について語りました。4章17節。ここでイスラエルが
やがてモアブをうち砕くことが語られます。バラクは逆に神からの呪いを受けてしまったのです。まさに「呪う者は
呪われる」のです。
 罪は自分のために人を犠牲にします。ちょうど愛が、自分が犠牲を払ってでも相手を祝福することの反対です。人
を呪ってやまない、それが罪の本質です。そして神に逆らい人を呪う、その結末は自分自身に呪いを招くことです。
いえ、結果と言うより、罪のそのような姿そのものがすでに呪いなのかもしれません。罪が罪を生み、それを隠すた
めにまた罪を犯す。罪は人から人に伝わり、自分にも周囲にも苦しみを与える。この呪いの悪循環は断ち切ることが
できないのでしょうか。
 このバラクとバラムの事件はこれだけを見ると暗い事件です。しかし、聖書全体を見るとさらに深い神様の意図が
あったことを知ることができます。

3.呪いから祝福へ
   さて、占い師バラムの語った言葉の中で、24章9節の後半の言葉に注目して下さい。「あなたを祝福する者
は祝福され、あなたをのろう者はのろわれる」。これを聞いてピンと来る人は、通です。創世記12章13節。ほ
とんど同じ言葉が含まれていますね。イスラエル民族の歴史は、アブラハムへの神様の、この祝福の約束から始まり
ました。この約束の故に彼らはエジプトから救い出され、この祝福を受けるために旅立ったのです。ところが不信仰
と罪のため、第一世代は祝福を受けることができずに滅んでしまった。そして第二世代の時代が来た。でも、彼らも
彼らの親と同じ罪人です。その彼らに神様はまるでやり直しをさせるように、もう一度祝福の言葉をかけて下さった
のです。どうせ祝福するなら、バラムなんて占い師ではなく、モーセのような立派な信仰の持ち主なら良いと思われ
るかもしれません。でも、神様はあえてバラムに祝福を語らせた。それは、バラムが立派だったから祝福が与えられ
るのではなく、祝福は100パーセント神様からの恵みであることを示すためでした。欲望と自己中心ならイスラエ
ルも同じようなものです。しかし、神様は彼らが受けるべき呪い、バラムに呪われても文句は言えない、その呪いを
祝福に変えて下さり、神こそ呪いを打ち破るお方であることを明らかにして下さったのです。
 もう一つ、今度は民数記の後ろの申命記23章3節4節。ここに、バラムとバラクの事件に関する結論が書かれ
ています。あの事件の故にモアブ人が呪われるとされています。ここでアモン人がモアブと一緒にされていますが、
この二つの民族は共に、アブラハムの甥ロトの子孫です。このアモンとモアブ、それからヤコブの兄弟エサウの子孫
であるエドム人、これら三つの民族に関して神様はイスラエルにこう言われました、「彼らの土地を奪ってはいけな
い」と。それはアブラハムへの祝福の故だったのです。それなのに彼らはその祝福を自ら呪いにしてしまった。とこ
ろがまだ話は続くのです。ここに書かれているとおり、イスラエルの中に移民してきた場合でもモアブ人は社会の正
式のメンバーとは認められず、10代目の子孫でさえイスラエルの国民とは認められないことになりました。(アメ
リカでは2代目から自動的に市民権が与えられるのとえらい違いですね)。しかし、神様は不思議なことをされまし
た。このモアブ人の一人の女性が神様を信頼してイスラエルにやってきた。そのモアブの女性とイスラエルの男性の
間に子供が産まれ、やがて彼女の曾孫(ひまご)がなんとイスラエルの王となった。この女性がルツです。モアブ人
はイスラエルにとっては呪われた民族とされた。しかし神様はそれさえも祝福に変えて下さり、さらにこのダビデの
子孫から救い主イエスキリストを誕生させた。ですからキリストの系図の中にちゃんとモアブ人ルツの名前が残され
ているのです。なんとも不思議な神様のご計画ではありませんか。

まとめ. 5節にこう書かれています。「かえってあなたの神、主は、あなたのために、呪いを祝福に変えられる。
主は、あなたを愛しておられるからである。」 もしかしたら、みなさんの中には、罪や欲望のために苦しんでいる
方がいらっしゃるかもしれません。自分の罪でなくても、周りの人の罪、あるいは社会全体の罪のためにその呪いを
受けている人は少なくないでしょう。しかし、神様はその罪の呪いをうち破る事ができるお方なのです。モアブの子
孫でもあるキリストが私たちの代わりに呪いを受けて下さり、救いの祝福を与えた下さった。もし、あなたがこの神
様を信頼し近づくなら、神様はあなたの呪いを祝福に変えて下さり、あなたを通してあなたの周りにまで祝福を及ぼ
して下さる。これが神様の愛であり恵みなのです。