2001年7月1日「危ない信仰」 マタイ伝3章13〜17節
イントロ
4年に及ぶカナダとアメリカでの留学生活で、時々思い出す日本の知り合いがいる。浜松在住の堀さんで、脳梗塞(?)の結果今は寝たきりの生活をしている。戦後間もなくの若い時、東京から浜松に来て、そこに教会を建てた。電気屋をして生計を立てた。私は大学3年生の夏に堀さんのところでアルバイトをさせてもらい、そのお金を使って名古屋、四国、大阪、長野を巡った。それが教育という神様からの導きを自覚する機会となった。
今終わろうとしている四年間の留学生活は、この教育という神様からのヴィジョンに基づくものだった。日本を発つ時、ある意味で日本には私が本当に知りたいことを教えてくれる人がいないと不遜にも思っていた。この四年間すばらしい先生方・友人にあったが、今思うと、この堀さんのような方こそ、「神の人」と呼ぶにふさわしい人だと思う。特に学問があるというわけではない、仕事や教会で際立って成功したわけでもない、それでも四人の子どもをクリスチャンとして育て、一信徒として教会を二つ開拓し、今寝たきりになって日曜の礼拝にすら出席できない中、教会と兄弟姉妹のことを祈ってとりなしているこのような人こそ、神の人と呼ばれるにふさわしい人だと思う。
私たちは、特別な人、経験、出来事を求めるあまり、身近にある日常的な出来事、経験、出会いに伴う神の臨在とわざに対して、目が閉ざされているのではないか。[例]韓国の教会成長は、韓国社会の経済成長と時を一にしていたと聞く。これは「危ない信仰」だ。今日はイエスがバプテスマのヨハネからバプテスマを受けた記事を通して、「危ない信仰」がどのように正されるべきか考えてみる。
13節
イエスはここで、わざわざヨハネからバプテスマを受ける目的のために、はるばるガリラヤからヨルダンに来られた。地図で距離を見ると、単純に見ても60キロくらいは距離がある。このことは、イエスがこのバプテスマをどれだけ重要視していたかが分る。ただ単に、公生涯の初めにちょっと(あるいは義理で)バプテスマを受けたというようなものではない。ここに、人の子として生まれた神の子イエス・キリストの生涯の不思議さと神秘がある。神が人を救おうとされたとき、神が選んだ方法は、ご自分のひとりを人として、すなわち赤ん坊としてこの世に生まれさせ、成長させ、十字架に架けて殺させ、復活させ、昇天させることを通してだった。[例]わたしの娘に、「イエス様は赤ちゃんの時、夜鳴きしたと思う?」と聞くと「しなかった」と言う。私は夜鳴きをしたと思うし、オムツかぶれもしたと思う!赤ん坊として、親の世話がなかったら生きることさえできないようなところを通られた。不思議だ!ヨハネは、この人として成長したイエスをよく知っていたはずだ。しかもそれだけではなく、そのイエスが神の子キリストでもあることを知っていた。だから14節のように答えた。
14節
イエスがバプテスマを受けにやって来たのに、それを拒もうとしたヨハネ(13節)。これはある意味で当然のこと。13節で見たように、ヨハネはイエスが誰だか知っていた(3:11参照)。その意味で「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずです」というヨハネのことばは正しい。このことから「決断力」と「柔軟」さという二つのことを考えてみる。第一に、決断力。私たちは時に、自分の立場を明確にする必要があるのではないか。ヨハネは「どうしてだ」という思いの中で、それでも自分としてはこう思うということを表明した。信仰の問題は、明確な答えが出ないことがある。そうであったとしても今私はこの立場を取るという姿勢が時には必要ではないか。その上で、第二に、柔軟さ。自分の立場や意見に固執せず、イエスの救いとわざを待ち、見極める必要があるのではないか。私たちは自分の立場・業績・経験が豊富で貴いものであればあるほど、私たちは自分の枠組にとらわれやすいのではないか。人間のうちでこれ以上偉大な者はいないと言われたバプテスマのヨハネでさえ、この点で完璧ではなかった。ところが、ヨハネが自分の考えに固執していたら、イエスの業も思いも実現されなかった。「あなたが、私のところにおいでになるのですか」。神のなさることは、私たちにとっては驚きである。15節のイエスのことばに続く。
15節
「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、私にふさわしいのです」(v.15)。キリスト者としての信仰生活において、神は時々、私たちの知識と経験と好みを超えたことをなし、しかも神がそうすることの意味が十分にわからないことがあるのではないか。[例]たとえば、私の少年時代の経験で、小学校三年生くらいのとき、ある日学校が終わって家に帰ると、親父が家でテレビを見ていた。当時親父はある鉄鋼関係の会社の経理の仕事をしていた。40年間その仕事を勤め上げた父は、健康であったし、めったに仕事を休むことがなかった。その父がなぜか昼間家にいて、しかもテレビを見ていた。それはプロ野球デイゲームの中継だった。私が今からどこかへ行こうとすると、親父が「試合を見てろ」と言った。当時野球に興味がなかったために別にいいと言うと、「いいから見てろ」と父は言った。しぶしぶ見ていると、それは巨人対中日のダブルヘッダー第二試合で、長嶋選手の引退試合だということがわかった。最期の打席で長嶋が凡打し、巨人の守りが終わり試合が終了した。ただそれだけかと思ったら、そこから長嶋のあの引退セレモニーが始まった。「昭和33年、栄光の巨人軍に入団して以来今日まで17年間、長嶋茂雄ならび巨人軍のために絶大なるご声援を頂きまして、誠に有り難うございました……」。それを見ていて、親父はこれだけ人々に惜しまれて引退する長嶋の選手生活の最期を見せておきたかったんだなと分った。このように、イエスは時にキリスト者に対して「いいから見てろ!」といわれるのではないか。私たちは「何言ってんだ」と思っていないだろうか。
「そこで、ヨハネは承知した(Then John consented.)」(v. 15b)。ヨハネはイエスのことばに「同意」(consent)した。ところで、ヨハネはどうしてここでイエスのことばに同意できたのだろうか。私たちはよく、誰かの意見に対して、同意できず、むしろ怒りを覚えることがある。あるいは、相手の意見を受け入れはするけれども、内心では納得していないことがある。いくつか理由が挙げられると思う。ヨハネがイエスのことばに同意することができた理由の一つに、ヨハネ自身まずイエスのことをよく知っていたことがあげられるのではないか。ルカ福音書が記すように、イエスの母マリヤとバプテスマのヨハネの母エリサベツは親類だったので、ヨハネとイエスは幼少期から互いのことをよく知っていたと言うことは十分に考えられることだ。[例]この関連で興味深いのが、シカゴ美術館に展示してある宗教画だ。私が気がついた範囲で、幼少期のヨハネとイエスを描いた画が二点展示されていた。一つはマリアの母乳を吸っているイエスと、そのイエスにちょっかいを出しているヨハネ。もう一点は幼児のイエスの脇で、カトリックの祭司が持っているような十字架の付いた杖を掲げて遊んでいるヨハネの画だ。両書とも聖書的根拠がないモチーフなので、歴史的事実であるとは言いがたいが、イマジネーションを働かせたもっともらしい画であるといえるのではないだろうか。さらに、勿論ヨハネは、成長し、知恵が進み、神と人とに愛されたイエスを知っていたであろう。その意味でも、ヨハネはイエスがどんな人かよく知っていた。それ故に、ヨハネは、自分の信仰的理解と異なるイエスのことばに、何か深い意味があると思い同意することができたのではないだろうか。さらに[第二]言えば、ヨハネはイエスを身内としてよく知っていただけではなく、「信仰の目」でもよく知っていた。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」。「私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です」。このことをさらに考えると、個人的体験が、信仰的に解釈されることの必要性といえるのではないか。
16節
イエスがバプテスマを受けると、天が開け、鳩が下ってきた。換言すれば、イエスが「すべての正しいこと」と言われて実行されたバプテスマに伴っていたのは、<聖霊の降臨>と<父なる神の宣言>という二つのことであった。まず聖霊降臨について、「何だ、鳩か!」と思うかもしれない。しかしそれは神の御霊、聖霊だった。私たちは神の臨在と御業を、「何だ」と言っていないか。バプテスマをただの水の儀式、聖餐をただのパンとぶどう酒(ジュース)と思っていないか。何か特別な出来事と経験がないと、日常的なもの(水とパンとぶどう酒)だけでは霊的でない、あるいは霊的になれないと思っていないか。[例]最初シカゴにきた時、リスは珍しかったが、今は野良猫くらいにしか感じなくなった。お客さんが来てリスを喜ぶと、日本ではリスが珍しかったことを思い出す。
17節
そしてクライマックスはお父さん。父なる神の鶴の一声。父なる神はこの状況を突き破って宣言された。「これは、私の愛する子、私はこれを喜ぶ」。ここでは「これは、私の愛する子」というかたちで、父なる神が子であるイエスが愛する子であることを宣言している書き方になっている。その一方で、マルコ福音書を見ると、「あなたは、私の愛する子、私はあなたを喜ぶ」(マルコ1:11)と、イエスに対する父なる神の語りかけとして記録されている。
参照聖句。イザヤ42:1では、「見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、私の心の喜ぶわたしが選んだ者。私は彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす」。さらにマタイ17:5では、「これは、私の愛する子、私はこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と父なる神が語っている。父なる神が子なるキリストについて口を開くと、そこには愛と喜びが満ちていた。これが三位一体だ。
「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」(マルコ1:9-11)。父なる神は、子なるキリストに対して、自分の愛を表現した。父にとって子は喜びであった。この父のことばは、キリストを信じることによって、私たちにたいすることばにもなる。なぜなら、キリストを通して、私たちも神の子どもとなるからだ。根本的・根源的な愛の源がここにある。多くの信仰の先人たち(カルヴァン、ヘンリ・ナウェン、ジム・フーストン)が、このことばを自らのものとしていった。たとえ自分の親との関係で満たされなかったとしても、神がそこを満たす。さらに、これが、自分が親となった時、子どもを愛する源となる。
4章以降の後日談
「これは、私の愛する子、私はこれを喜ぶ」という父なる神の愛の宣言を受けた後で、四章を見るとイエスが荒野でサタンの試みを受けたことが分る。このことは言い換えると、神との深い愛の交わりは、必ずしも私たちの生活の安全と成功を保証するものではない、と言うことができるのではないだろうか。
まとめ
イエスは不思議なことをなさる。イエスはわざわざ人の手を通してバプテスマを受けられた。それを通して聖霊と父なる神の愛が証しされた。私たちは、たかが水だ、パンだ、ぶどう酒だ、鳩だ、聖書のことばだ、と言って、そこに神の臨在とわざと愛が満ちていることに、目が閉ざされていないだろうか。私たちの信仰の目が開かれた時、私たちを通して神の愛と和解のわざが世に対して証しされようとしていることが分る。私たちの生活の中で、信仰の目が開かれる必要があるのはどこか。私たちの希望は、私たちの目が開かれる前に、既に神の臨在とわざが私たちを通して始まっていることである。私たちに必要なのは、心が開かれ、神に感謝し、神の愛と恵みを証しすることではないか。