「キリストにある同労者、プリスカとアクラ」
聖書箇所は、使徒の働き。18章。 特に1〜4 18〜28

今日の聖書箇所は、実際には18章全体なのですが、
特に18章のなかでも、1〜4節、18〜28節を部分的に読んで頂きました。
実は、これには理由がありまして、ここでの登場人物、中でも、特に、パウロと、
その生涯を通じての友人であった、アクラ、プリスキラと言う夫婦に、注目して行きたいからなのです。
 この夫婦と、パウロの関係を通して示されております事は、現代においても、教会の原型としての人間関係の重要さと、私たち一人一人が教会の中で、どれほど大切な役割を与えられているのかと言う事、そして、特に日本人社会の中にある教会にとって、一人一人の賜に応じた教会員の働きが、実際に必要なんだと言う事であります。

今日、説教題にさせていただきました、「私の同労者、プリスカとアクラ」、という一文は、ローマ人への手紙の中でパウロ自身が書き送った手紙の終わりの「挨拶」の中の一節であり、(開かなくともかまいませんが)ローマ人への手紙,16章3節では「キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアクラによろしく伝えて下さい。」と記されており、さらに、4節では、「この人達は、自分の生命の危険を冒して私の生命をまもってくれたのです。」と、記されており、パウロとこの夫婦が特別親しい関係にあった事がわかります。
さて、今日の聖書箇所、1節を見てみますと、パウロは、この18章の出来事の前には、アテネで伝道をしており、そこからこのコリントの町へやってきたようです。
1節、「その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。」
実は、コリントの町の中で、パウロがこの夫婦と出会ったとき、
パウロは必ずしも意気揚々と伝道に燃えていた訳ではなかったようです。
アテネでの伝道は必ずしもうまく行かなかったようで、パウロは、少なからず、失望していたようです。
後にパウロはこの時の事をコリント人への手紙第一,2章3節で、振り返り語っているのですが、
「あなたがたと一緒にいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」と
言っており、パウロのような、主に大きく用いられた、伝道者でも、やはり、
「弱く、恐れおののいて」、いた事が在る。という事を知るのです。
そのような中でパウロにとって同労者と言わせている、この夫婦は

1)まず、いったい、どのような、夫婦であり、どのような働きをしたのか。
2)初代教会の時代に、この夫婦のような働きが、どんな意味を持っていたのか、
3)また、現代の私たちの属しているキリスト教社会で、あるいは属している、教会の中で、この夫婦の働きから、私たち一人一人が、学ぶべき所があるか、  
これらの点に注目しながら見て行きたいと思うのです。

さて、まず、いったい、彼らはどのような、夫婦であり、どのような働きをしたのでしょうか?
2節を見てみますと、
夫であるアクラは、ポントス生まれのユダヤ人であったと、ルカは書きしるしております。 
ポントスと言う地方は小アジア北部、今のトルコの北の方になりますが、黒海の近くにあり、ここは地形の厳しい、海岸線の起伏が激しい地方であります。
まあ、簡単に言えば、かなり田舎であると言う事でなのすが、住んでいた人々も性格的に荒っぽく、素朴な人達であったと言われております。
まあ、こんな事を言うと、田舎出身の人に叱られるかも知れませんが、つまり、純朴であったと言う事でしょう。(かく言う私も田舎の出身なのですが)
それに対して、妻のプリスカは、その名前がラテン名であることから、
ローマ人と考えられ、実際「プリスカ家」と呼ばれたローマの名門貴族があった事が知られています。
もともと、夫よりも社会的に洗練された文化的な階級に属していたと考えられるのです。
そして、この夫婦はローマで結婚したのではないかとの説もあるのです。
いずれにしても、このあたりの事は推測の域をでないのですが、
その、ロマンスを考えると案外面白いかも知れません。
実際、2節の後半を見てみますと、
当時のローマ皇帝、クラウディオ帝のユダヤ人退去令が出るまで、
この夫婦は、ローマに住んでいたと聖書に書いてあり、それまで妻の故郷で生活していたと考えるのは不自然ではないように思われます。
パウロは、この婦人の事をプリスカと呼んでいますが、ルカはその愛称である
プリスキラという言い方をしており、また興味深い事に、この夫婦の名前がでてくるのは、聖書記述中6回あるのですが、その内、3回は妻の名前が先に記されているのです。
新約聖書の中で、(新約聖書はギリシャ語で書かれているのですが)言語の特徴から言うと、同じ品詞、特に、名詞が並べて書かれて在る場合、先に書かれてあるという事は意味のある事でして、多くの場合重要な事が先に書かれています。
実際、さらに、注意深くこれらの箇所を読んでみると、この夫婦が何か行動を起こしたときは、プリスキラの名前が先に書かれており、まるで、いざというとき、主導権は妻が握っていたかのような印象を受け、なんとなくこの夫婦の、ユニークな、一面が見えてくるようで興味をひかれます。
皆さんの、お宅ではいかがでしょうか?
いざという時、やはり奥さんの方がしっかりしていないでしょうか?
考えてみれば、うちなどは、やはりそうですね。
いざというときは妻の決断力にしたがっている事に後で気付いたりいたします。
我々男性は、よけいな事を考えすぎるのかも知れませんが、
まあ、女性というのは、素晴らしいたまものが与えられていると、時々、思わされます。

さて、次に、2節後半、3節によると、
この夫婦が、クラゥデオ帝の命令で、ローマから退去し、コリントで生活を始めた頃、
前後して、パウロはアテネからコリントへやって来た様です。
パウロは伝道者でありましたが、同時に天幕作りの技術を持っていたようです。
これは当時の習慣で、ユダヤ教の教師ラビたちは、必ずその教えとは別の職業を身につけなければならないと言う事の影響があったと思われるのですが、いずれにせよ、この「天幕作り」という職業がきっかけとなり、アクラとプリスキラの夫婦は、パウロと出会い、生活をともにする事になったと思われます。
これは、パウロにとっては生活の手段を得た事になり、また同時に伝道の拠点を
得た事になったわけです。
ここには、初代教会特有の伝道のあり方の一つを見る事が出来ると思われます。
これは、生活の手段としての場所は、同時に伝道の拠点でもあったと言う事です。
つまり、自分の生活環境の中で、身近な所から伝道していくと言う事です。
とにかく、一人で「弱く、恐れおののきながら」コリントへやってきたパウロでしたが、この家族の一員となり、家庭的な暖かさの中でどれほど力ずけられたか、
想像する事ができます。
また、この夫婦にとっても、伝道者と共に生活する事は恵みであったはずです。
4節を見てみますと「パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。」
パウロは「安息日ごとに会堂で論じ」た、とありますが、アクラ・プリスキラに
とっては、毎日がパウロの話す福音で満たされていたと、考えられるからです。
今までは、ユダヤ教的背景しか持っていなかったこの夫婦に、つまりキリストの十字架の事を知らず、その意味を知らなかったこの夫婦に、キリストの福音が伝えられたのです。
この相互関係は、一年半続いたとしるされており、
この夫婦にとってパウロは生涯を通じての友人となるわけです。
次に、この夫婦のした行動を見てみますと、18節にあるように。
パウロがシリヤに向けて旅だった時、何と、この夫婦は共に行ったと記されているのです。
18節「パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。」
実は、これは、明らかに一つの目的を持った決断であったと考えられます。
なぜなら、当時、コリントと言う町は「ギリシヤの星」と言われた一大商業都市であり、地中海の東西交易の中心地でありました。
アクラ・プリスキラの夫婦にとって、コリントは商売という点からすれば条件の良い都市であり、あえてシリアへ行く必要はなかったと思われるのです。
しかも、いくつかの古い訳に基づく解釈によると、この夫婦自らの意志で、パウロと共に、シリアへ行く事を決意したと、考えられます。
18節の、後半の部分に、「パウロは、一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。」とありますが、原文の解釈の仕方によれば、パウロだけではなくアクラも、「パウロと共に、一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。」と言える所であり、この場の状況から言っても、アクラも自らが、誓願を立て髪をそったと考えられます。
この誓願を立てて髪をそると言うのは、ナジル人の誓願と呼ばれるもので、一定期間、特別な事柄に関して、神様に献身している間、髪を延ばしたままでいて、その期間が終われば髪を切って主に捧げるという、つまり簡単に言えば、
彼らはある目的のために誓い立てていた、と言う事になります。
これらのことから考えると、この夫婦は、パウロの協力者として、その伝道活動を助けるために、あえてパウロと共に行動する事を決意したと、思われるのです。
ここでも、プリスキラの名前が先に書かれており、シリア行きを積極的に考えたのは、
妻の方であったのかも知れません。
19節〜21節「彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。
18:20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
18:21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。」と言って別れを告げ、エペソから船出した。」
さて、理由は、はっきりしないのですが、エペソに着くとパウロはこの夫婦を
残して、さらにカイザリアへと旅を続けます。
一方、アクラとプリスキラはエペソに残り、その後、数年間エペソで生活をすることになるのですが、これが、神の摂理であったのか、このエペソでアクラとプリスキラはアポロという伝道者に出会うのです。
24節・・・26節
18:24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。
18:25 この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。
18:26 彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。
「ヨハネのバプテスマしか知らなかった。」
「それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと、正確に彼に説明した。」と、記されております。
この短い一文からではありますが、いくつかの事を知る事ができます。
まず、アポロの説教を聞いて、そこに重大な欠陥があるということを見抜いた
正確な福音理解が、彼らにあったということです。
これは、コリントでパウロとの生活によって得たものであったと、考えられます。
ここでは、アポロについて「ヨハネのバプテスマしか知らなかった。」と書いてありますが、即ち、アポロはイエス・キリストの十字架の事は知らなかった。
つまり、この聖書の表現は、人間イエスについてはよく知っていたが、神の子として、
十字架で、我々の罪を贖って下さった、救い主キリストについては知らなかったと言う
意味です。
確かに、これが在る意味ではキリスト教の本質ですから、これを知らなかったとすれば
アポロの説教には、重大な欠陥があったと言わざるを得ないでしょう。
つぎに、26節を見ると、それを知った結果、彼ら夫婦は自分達の家に、アポロを「招いた」、別の訳では「招き入れた」となっているのですが、招き入れて、もっと正確に神の道を説明した。とあるのです。
確かに、このプリスキラとアクラの行動は配慮あるものだったと言えます。
アポロの欠陥を見抜きながらも、会衆の面前で非難するような事はせず、
この有能な伝道者を傷つけず、自宅に招き入れ個人的に説明をしたわけですから。
ともすれば、私達は、真実を知っていれば、それを言いたくてたまらなくなりはしないでしょうか?
しかも、人前で、知っている、と自慢したくなるのです。
これは、多くの場合、自分自身に目的があるからです。
つまり、知っていると言う事を、みんなに知ってもらいたいと言う事と、真実をかくしておく事の、ストレスです。
しかし、この夫婦は、そうではありませんでした。
自分達がその事実を知っている事の目的をちゃんと、わきまえていたのです。
つまり、この夫婦は、ただ単に自己満足としての信仰を持っていたわけではなく、
もっと大きな視野から、キリストの教会が建てあげられ正確なキリストの福音が宣べ伝えられる事をこそ望んでいたと思われます。
実際、この建徳的な配慮によって、アポロ自身の信仰の成長を促したばかりか、
福音伝道そのものを、進めることとなったと言えるのです。
これらの事から、この夫婦の信仰姿勢を見る事が出来るでしょう。
即ち、自らが直接前面に立つ御言葉を伝える伝道者でないと言う事をわきまえた、
その協力者としての彼ら夫婦の姿勢です。
実際に、自らの家庭を解放し、「家の教会」として、エペソにおける伝道拠点を提供していた事や、27節以降に書かれてありますようにアポロのギリシャ伝道の手助けをしている事からも、その姿勢を見る事ができます。
アクラとプリスキラは、この様な夫婦だったのです。

さて、次に、初代教会の時代に、この夫婦のような働きが、どの様な意味を持っていたのでしょうか、
こういった、アクラとプリスキラの行動を見てみると、彼らのしてきた事は一見、
じみではありますが、非常に重要な働きであったと言えます。
確かに、パウロやアポロのような人前に立つ伝道者ではなかったかも知れません。
いや、むしろ、私は、この夫婦の事を見ていく過程で、この夫婦は意図的に自分達の立場をこのような、協力者としての立場において、そこに使命を感じていたのではないかと考えるようになりました。
いはば信徒献身者とでも言うのでしょうか、パウロを支え励まし、アポロを導き、
育み、助け、どれだけ伝道者の大きな力になったことでしょうか。
事実、このパウロとアポロにより異邦人伝道は大きく進んだのです。
前面に立つ伝道者は確かに必要です。
特に初代教会の時代「キリスト教」が、新しいユダヤ教の一派として見られていたような時代には、声を大にして真の福音を語る伝道者が必要であったでしょう。
しかし、それらの、伝道者がいわゆる市民権を得ていなかったからこそ、それを、
支える人々の必要性は想像以上に大きかったと考えられます。
事実、パウロに取って一生の友人となった彼ら夫婦の存在は、パウロ自身の口から
「この人たちは、自分の生命の危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。」
と言わしめている程に大きな存在だったのです。
考えて頂きたいのですが、パウロと言えば、新約聖書の中でも特別に神様から、召命を受け、大きく用いられた人物です。
当時の有名なガマリエルと言う大学教授のもとで、教養を積み、宗教家としても、社会人としても超一流の人物であったと言われています。
実際、彼は、サンヘドリンの議員でありまして、まぁ、現代的に言えば国会議員のような立場にいた、社会的宗教的に影響力のあった人物で在りました。
そんな人物でも、「あなたがたと一緒にいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」と、言っているように、やはり人間としては弱い存在でした。
しかし、私はこれを、否定的な意味で言っているのではありません。
人間的な弱さをむしろ、神様は積極的に用いようとされるのです。
この場合、神様は、アクラ・プリスキラの夫婦を用いられたと言えるでしょう。
人が主のために、弱いながらも、お互いに協力するという人間関係を導かれたと言えるのです。
人間が、不完全であると言う事は、言うまでも在りません、自分自身を見れば、わかる事で、実に弱い愚かな存在です。
しかし、不完全であると言う事の裏を返せば、我々には、主に助けを求める事によって、何か出来ると言う事です。
つまり、人それぞれには、与えられている「たまもの」が在るという事で、それは何のために与えられているかと言う事です。
アクラと、プリスカは、もしかすると、聖書を深く理解し解きほぐし、人前で、それを解説する「たまもの」は無かったかも知れません。
しかし、人をもてなし、助けるという、たまものを与えられていたのではないでしょうか?
それをもって、彼らは、初代のキリスト教会に献身したのです。
そして、神様はそれを用いられたのです。

次ぎに、では、また、現代の私たちの属しているキリスト教社会で、この夫婦の働きから、何を見て行くべきでありましょうか。
私は、このパウロの言っているプリスカとアクラの様な「同労者」という存在が
伝道者と同じく、神の備えたもうた器であり、福音伝道に重要な役割を果たす、
ということを、改めて考え直す必要があると思います。
パウロは、いみじくも、その重要性を「同労者」という言葉で現したと言えます。
現代のキリスト教会(界)、特に日本人社会におけるキリスト教会は、ある意味で初代教会の時代と似ていると、考える事が出来るかもしれません。
即ち、キリスト者という存在が、少数派であり、力がなく市民権を得ているとはなかなか言い難い状況です。
そんな中にあって、もちろん直接御言葉を伝える伝道者は必要です。
しかし、その伝道者を活かす「同労者」が必要不可欠であるということを、
プリスカとアクラの夫婦は伝えていないでしょうか。
伝道者のための、いえ、もっと大きな視点から福音が宣べ伝えられるために、
教会の為の働き人、そのための献身者が必要なのです。
一般的に、日本人の教会は、そこが弱いのです。
牧師は牧師、信徒は信徒、で別、と言う考え方がともすればあります。
今日の聖書箇所からも判るように、もともと信徒と伝道者の区別があったわけではありません。
実際、新約聖書原典には「信徒」に相当する語はなく、教会制度が整備されて、その区別が生まれてきたと言えます。
信徒だから、と言う理由で、その人の主に対する献身が妨げられてはいないのです。
もちろん、私達、一人一人は与えられている、たまものが違います。
また、与えられている環境も違います。
ですから、出来る事ももちろん、一人一人違う事でしょう、しかし、それぞれが与えられた賜に応じて、キリストの身体なる教会の一部として献身するならば、
そのとき、教会は力を持つのです。
アクラとプリスキラは、この点に置いて教会を支える者として献身したと言えますし、
しかも、それを主は大きく用いられました。
牧師一人が教会の頭となっても、キリストの身体なる教会は機能しないのです。
みなさん一人一人に、主は賜を与え、恵みを与え、あなたが、主のためにそれを用い、
主の働きに加わって行って下さる事を、主は期待しておられるのです。
そのために、私達は救われたのだ、と言っても過言ではありません。
主はそれぞれの立場での献身を、
あなたに期待しておられるのです。   お祈りします。