2000年3月4日「取るべき地」ヨシュア記13−21章
聖書が読みにくい本だ、という理由が幾つも在ります。昔のことだから。知らない名前がたくさんでてくるから。長いから。そして、意味が分からないから。そういった読みにくい理由が固まって出てくるところがあります。例えば出エジプト記の後半、
歴代誌の始め、マタイの1章、などが代表的です。ヨシュア記も最初はまだ読みやすいのですが、真ん中らへんは読みにくいところです。そういった箇所については、私はいつも一つの秘訣を紹介しています。それは、難しい所、読みにくい所ほど、速く
読む。分からない箇所をゆっくり読んでいると、よけい眠くなります。だから、一気に読み終わる。子供が嫌いな野菜を、それでも食べなさい、って言われて、一口で飲み込むのと同じですね。嫌いなものを何時までも噛み続けていると、よけいにいやに
なります。ですから、分からない箇所は分からなくてもいいから、兎に角読んでしまう。意味は? いつか分かる日が来る。
今日お話しします所は、そんな箇所です。13章から21章まで、9章も一気に進むのは、ここがいかに読みにくい所か、ということです。所々、分かり易い箇所を掻い摘んでお話しますから、後で家に帰ってからゆっくり読んでも良いですし、さっと
読んでもかまいません。
この箇所の主題は、土地の分配です。第一に、この土地の分配とは一体何なのかを最初に説明します。2番目に、カレブという人の事をお話します。最後に、どんな人たちがどのように土地をもらったかを見ていきます。
1.神から与えられた土地 (13:1、2、6、7、14:1、2)
ヨシュア記の前半、1章から12章には主に戦いのことが書かれていました。
カナンの地にいた、エモリ人を代表とする民族と戦って彼らを滅ぼす。それが前半のテーマでした。滅ぼす理由は先週までにお話してきましたので、今日は触れません。戦った目的は何かというと、それが今日扱うことですが、それはカナンの地を手に入れる、ということでした。いったいそれはどういう意味があるのか。
そもそも、イスラエル民族の事は先祖であるアブラハムまで遡らなければなりません。神様がアブラハムという人を選んで、彼の子孫にカナンの地を与えると約束しました。その約束が実現した、聖書の言い方では成就したのが、このヨシュア記です。
でも何故、神様はそんな約束をなさったのか。それを正しく理解するには、聖書全体のメッセージを考えなければなりません。
聖書に書かれていることを一言で言うと、神様が人間を救おうとされている、というメッセージです。聖書を初めから読んでいきますと、まず神様が世界を造られ、そして人間を特別な存在として造られた。ところが、人間は神様に逆らって罪を犯して
しまった訳です。そのため受けるはずの祝福を戴くことが出来なくなって、そのままでは滅んでしまう。そこで、神様は人間を救うために、一人子であるキリストをこの世に人間として送り、救いの道を開いて下さったのです。その救いの道を造るために準備をされた。それが旧約聖書に書かれていることです。救い主が何時何処で、どのように生まれるか。それはユダヤのベツレヘムで、イスラエル人として生まれる。そのためにアブラハムを選び、彼にこの土地を与えると約束されたのです。もう一つ、理由があります。それは、救い主が生まれる前にあらかじめ、救い主がどんなお方で、神様が与える救いとはどのようなものかを示すことでした。それをイスラエル民族の歴史を通して示そうとされた事です。ですから、イスラエルは救いの実例として選ばれた。特殊な例なのです。
何でこんなことまでお話しているかと言いますと、このヨシュア記の出来事は歴史の中で一回だけ起きた事ですから、直接的に自分に当てはめてはならない、という事です。神様がイスラエル人にカナンの地を与えた。だから、自分達もどこかの地を神様から戴くんだ、とは決して言えないのです。そのことをはっきりしておきませんと、聖書を理由にいくらでも侵略戦争が正当化されてしまいます。また、この土地を与えられたイスラエルにしても、その後の歴史で、神様に従わなかったため、この地を取り上げられてしまう。ですから、この土地を与えるというのは、そのことでイスラエルが得をするためではなく、救いとは何かを示すために、一回きりの特別な出来事として行われたのです。
とは言いましても、土地をもらうことが救いではありません。本当の救いは神様から離れてしまった人間が神様と共にいることができるようになることです。ですから私たちの救いの完成は、きたるべき天国です。救いの祝福を100パーセントいただけるのは天国に行ってからですが、でも、この地上に生きている間でも、その恵みの一端を味わうことができるようにして下さいました。その、神様が下さろうとしている恵みを戴くために手を伸ばそう、というのが、このヨシュア記の土地取得を通して私たちが学ぶことです。イスラエルは目に見える土地を神様から戴くために戦いました。私たちは目に見えない恵みを戴いて天国の祝福を味わうために、信仰の戦いをするのです。そのように理解することが、聖書全体のメッセージに沿っていると思います。
さて、そういったことを頭に入れながら、土地の分配について2つのことを簡単にお話します。まず、土地を与えるのは神様が決めることだということです。戦いの後、ヨシュアはくじを引いて土地を分けました。「くじ」というと現代の私たちにはいい加減なやり方と感じますが、当時の人にとってはそれは偶然に任せるのではなく、神様がくじを決めることと理解されていました。だから、どこの土地が与えられるかは神様が決めることです。もしくじで決めなかったら、おそらく誰もが良い土地を欲しがって、今度はイスラエルの中に争いが起き、部族ごと、家族ごとに戦い、殺し合いになったでしょう。そうならないように彼らはくじによって割り当てを決めました。
そして、一度神様が決めたことは人間が勝手に変えてはいけない。その後の土地の相続でも、彼らは土地が他の部族に移らないように気をつけた。それはその土地は神様がその部族に与えたものだからです。土地に関しては人間の欲望や勝手によって決めないようにしたのです。私たちも神様からの祝福を考えるときに、自分勝手に決めがちです。何が祝福か、何を与えて欲しいかを、自分で決めると、間違ったものを欲しくなり、神様の御旨でない方向に進んでしまいます。人の祝福が羨ましくなります。
そうではなく、神様は一人一人に一番適した祝福を用意されている。それを感謝して戴くことが大切です。
第二に、これは信仰によって受け取る恵みだということ。12章までで戦いは終わったと書かれていますが、実際はその後も戦いがありました。主な都市国家は倒れましたが、まだ多くの町に住む民族が健在です。でも、神様はそれらの土地も含めてカナンの地を全てイスラエルに与えたとおっしゃってます。その言葉を信じて、一歩ずつ土地を手に入れていく。それが後半の課題です。戦いもあった。でも、与えられていることを信じて進んでいったのです。私たちの救いも、罪に対する戦いは十字架でイエス様が果たして下さり、天国も約束されている。それを信じて、恵みを受け取っていく。それが私たちの生涯です。まだ全部は受け取っていないけれども、与えられたという約束を信じて進んでいくのです。
こういった事をもう少し具体的に見ていきたいと思います。それが二番目と三番目のポイントです。
2.信仰の勇者カレブ
14章からは、殆どが土地の分配の記述です。何族にはどこの土地が与えられたか、ということを詳しく書いています。それぞれの部族にとっては自分達の住む場所が決まるのですから、一言も漏らさずに聞く、そういう所です。でも、部外者の私たちには退屈な所です。ですから、さっと跳ばしてもいいのですが、跳ばしすぎて見るべき所を忘れてはいけません。土地分配は概ね部族を単位として書かれていますが、いくつか例外として個人的な事が取り上げられています。その一つがカレブの分け前です。
カレブという人はここが初登場なのではありません。14:6−13。民数記の中で神様の命令に従ってモーセが12人のスパイを送ったことがあります。帰ってきたスパイの内、10人はこの地の事を悪く言いふらし、人々はそれを信じて神様の約束を捨てようとし、神様とモーセに逆らった。その時に全イスラエルの前に立ちはだかって、神様を信じるように説いたのが、スパイの中にいた二人、ヨシュアとカレブでした。この二人以外の大人達は神様の裁きにより、荒野で滅んでしまい、モーセ自身もヨルダンを渡ることができませんでした。しかし、ヨシュアとカレブだけは約束の地に足を踏み入れることができた。そのカレブです。
カレブはこのとき85歳でした。同い年のヨシュアも年を取って老いた、と書かれています。カレブもそうでしょう。でも、彼は「今も元気だ」と言っています。クリスチャン人生の素晴らしいことの一つは、何歳になっても現役だということです。もちろん、肉体は歳と共に弱くなるかもしれません。でも、信仰に関してはそのような制限はありません。去年の秋祭り以来、村上先生ご夫妻がグレンビュー教会に加わって下さいました。先生は牧師を引退された方です。職業としての引退は存在します。
でも、クリスチャンであること、奉仕者や証し人として主に仕えることに関しては、引退はありません。来週から先生にバイブルスタディーを導いていただけるのは素晴らしい祝福です。 100歳までは皆、青年、と言った人もいますが、年齢や体の状態が神様に仕える妨げではありません。例え体が動かなくなっても、なお祈りによって教会を、また他のクリスチャンを支えている人がいます。また信仰を貫き通す生き方によって若い人に影響を与えた信仰の先輩もいます。年齢を重ねるごとに円熟した
信仰者となれるように、信仰の先輩達に学んでいきたいですね。
さて、カレブが民数記でしたことはヨシュアと等しいことでした。しかし、その後、ヨシュアはモーセの後継者となりましたが、カレブは一兵士としてヨシュアに従いました。彼はそのことを不満に思わなかった。しかも、ここで彼は自分の功績を取り上げて一番良い土地をもらうように主張したのではありません。彼が求めたのはどちらかというと荒野と言える地域です。雨が少なく、険しい山地です。しかも、彼が求めた町にはアナク人という強い人々が住んでいました。そこを敢えて彼は選んだのです。
神様を信じて困難に立ち向かっていく、カレブは信仰の勇者でした。決して目立つ働きでは無かったかも知れない、でもカレブの人生は私たちの将来に希望を与えます。
神様からの恵みの人生は私たちの前にまだまだ大きく広がっています。そこを勇気を持って切り開いていく、それもクリスチャンの生き方です。恵みは神様が与えて下さるもので、私たちはそれを受け取る。でも、同時にその恵みを手にするために前進する。受動的ですが、消極的ではありません。積極的に恵みを求めていこうではありませんか。
もちろん、疲れる時、弱いときもあります。神様はそれもご存じで様々な配慮をして下さってます。そのことを次に見たいと思います。
3.それぞれに与えられる恵み
教会もそうですが、沢山の人が集まりますと、いろいろな人がいます。力の強い人も弱い人もいるわけですが、強い人や弱い人を虐げたり、裁き合ったりしては決していけません。イスラエルの12部族の中にも大きくて強い部族と、小さく弱い人々がいました。それが原因で問題が起きないようにくじを引いたのですが、でも全く問題が無かった訳ではありません。一番大きかったのはヨセフ族です。ヨセフ族はマナセ族とエフライム族に分かれており、他の部族と比べると二つ分の勢力を持っていました。ですから、彼らが割り振られた土地も最も広大なものでした。それなのに文句を言ってきました。もしかしたら、リーダーであるヨシュアもヨセフ族、エフライム族の一員なので、身内だから我が儘をいったのかもしれません。兎に角彼らはもっと土地を要求しました。それに対してヨシュアは毅然とした態度で答えました。17:17、18。もし彼らが、自分達が大きく強いことを理由に大きな土地を求めるのなら、その強さを使って新たな土地を切り開くように命じたわけです。
何らかの意味で、他の誰かより自分の方が優れていると思うことがあるかもしれません。自分のほうが信仰の先輩だ、あるいはクリスチャン年齢は下でも知識や正しさでは上だ。もちろん表だってそう言ったり、はっきりと考えないかもしれませんが、例えば、人を裁いたりするときは、心の奥で自分のほうがえらいと考えているのです。たしかに色々な人がいるのですから、教会の中にも強い人と弱い人が存在するのは事実かもしれません。しかし、その強さが自己主張のため、他者を責めるために用いられるのは決して御心ではありません。強いことがいけないのではなく、もし強さがあるなら、それを神様の栄光のために用いたら良いのです。
むしろ弱い人への配慮が大切です。配慮が大切だと言われる理由は、配慮することに気が付かないことが在るからです。私も、本当に配慮の足らない者です。ですから、周りの方たちに助けて戴く必要があるのです。神様がキリストの体として教会を造って下さったのは、クリスチャン一人一人は欠けがあってもそれを補い合い、助け合い、もっている力を出し合って神様に仕えるためです。弱い人にも神様は何か賜物を与えておられる。ですから、必ず一緒に仕えていくことができます。
さて、弱い方の代表として、20章と21章に出てくるのは、一つは犯罪者、もう一つはレビ人です。犯罪者と言っても、故意ではなく事故で、あやまって人を殺してしまった場合だけです。故意の殺人は厳しく罰を受けましたし、人の財産を損なった場合は必ず償いが命じられました。しかし、故意でない殺人の場合は死刑にはならないが、殺された者の一族によって復讐を受ける可能性が強い。ですから常に命の危険があったのです。その人たちが逃げ込むことのできる場所が定められたのが20章。
21章は、レビ人の割り当てです。と言っても、レビ人は神様に仕えるように選ばれ、その代わり、自分の土地は持たないように決められていました。だからといって、彼らにも家族がおり、生活すべき場所が必要です。そこで、各部族の所有地の一部に彼らの住む場所が設けられました。
お前達は殺人者だから、またはレビ人だから、といって蔑ろにされないように神様は配慮して下さったのです。ここに出てくるのは、実は民数記の中ですでに命じられていたことを実現したものです。神様は最初からこのような人々の事も考えておられたのです。もちろん全員に全く同じ、というのではありません。レビ人たちには収入を得るための土地は与えられませんでした。殺人者たちは収益の場である自分の土地を一時的に離れなければなりませんでした。また、各部族によって、差がある様に見えたかもしれません。肥沃な地を得た部族もあれば、山地や荒れ野を割り振られた部族もいます。しかし、肥沃な土地は敵に狙われやすい場所でもあります。貧しい地域でも神様が養って下さいます。人間のものさしでは理解できないことがあるかも知れませんが、神様の深い考えで一人一人に適した場所が与えられるのです。
まとめ.
土地分配の最後の言葉を見てみましょう。21:43−45。神様が私たちにして下さることは全て良いことです。今はそれが分からないかも知れない。
でも、約束しておられる神様を信頼して、信仰を持って前進するなら、神様の言葉が実現していくのです。神様はすでに救いを与えて下さった。天国を約束して下さった。
それを保証するのが十字架です。その恵みを日毎に戴くために、信仰を持って歩み出す。時には困難が目の前にあるかもしれませんが、勇気と助けを戴いて切り開く。そうするなら神様はお一人お一人に最善の道を歩ませて下さるのです。そのような祝福の人生をこれからも進んでいこうではありませんか。