2002年3月3日『どっちの道?右か左か』創世記13:1〜18
私たちの人生は、いつもどちらの道へ行くべきか、選択をして行かねばなりません。こちらがいいのか、あっちがいいのか。日々の小さな事から人生の岐路の大きな事まで、選択で満ち溢れています。こっちが正解か、あっちが外れかと、選択に心が千路に乱れる。では神の民としてどう選択して歩んでゆくべきか、本日はアブラハムの信仰を通して「神に委ねる人生」を学び、神の御手によるわざの約束の人生があることを学びたい。
@ 順調に行きそうな時に試練が。(1〜7節)
多くの富と家畜に富んで、ロトとの生活も順調に見えた。また信仰的にも、
12章のことを悔い改めて、祈りを持って始めようとしたアブラム。しかし貧しかったときにはなかった争いが生じた(箴言15:17,17:1節)。所有物が多くなってのアブラムとロトの家畜の牧者たちの<縄張り争い>であった。アブラムはどうするべきか悩んだ。周りにもその成り行きを見ては、漁夫の利を狙う人たちもいた(7節後半)。
思わぬ出来事に動揺する私たち。分からないことや不可解なことに出会うと袋小路に入って、どうしたらいいのか皆目見当がつかないといって、焦るのである。しかし信仰は試練をもって鍛えられるのである。信仰の真価が問われるのである。
A アブラムは自分の利益や打算ではなく、信仰と謙遜によって行動した。(8〜11節)
ロトの方から配慮されるべき提案を、年長で叔父であるアブラムの方から
それをしたのである。アブラムは神に選択権を渡したのである。直接的にはロトに渡したが、信仰を持って神に信頼し、最善を成してくださることを信じて、神の御旨に謙遜に従おうとしたのである。アブラムは「全地はあなたの前にあるではないか」という、すべては神の祝福の中にあると信じ確信しているのである。
私たちも常に神に選択権を渡して、神に信頼して歩みたい。
B 選択権を渡した後、神は約束を与えられる。(12〜18節)
アブラムにも悲しみや寂しさも有ったはずである。長年暮らした親戚のロト
と別れるさみしさ。これからどのような暮らしが待っているのか、不安もあったはずである。しかしアブラムはすべてを神に任せたのである。その決断をし
住み始めることを決心した後に、神は約束を与えられるのである。選択をする前ではなく、選択後に与えられるのである。神の配慮である。どのような土地かは書かれてはいないが、神は「・・・見渡しなさい」と言われる。それだけでなく、「立って、その地を縦と横に歩き回りなさい」と言われたのである。
アブラムはその言葉通りに実際に行動するのである。神の奇蹟は私たちの決断の信仰の中で、行われるのである。ここから神の出番、祝福の始めがあるのである。
私たちは、自分の打算の楽な歩みを選ぶのではなく、主の与えたもう道を歩んで行くのである。神に選択権を全部渡して、神の最善を臨み、神に信頼して、実際の現実の道を歩むことこそ、神の民の信仰である。その時々に応じて神は具体的に約束を与え、道を示し、その道を行く力と勇気を与えてくださる方である。第コリント4:16〜18にある「私たちは、見えるものにではなく、
見えないものにこそ目を留め」て、主に信頼して歩む者でありたい。