2002年2月10日『遠回り―近道でなく』出エジプト13:17~22
私たち神の民は、世々を通して、さまざまな苦難に出会い、何か遠回りさせられていると感じる中でも、神の配慮と助けにより、その中から救い出されたことを証言している。そのような人々の中には、困難な問題が取り除かれたことによってではなく、神が共にいて下さることによって、また苦難に耐える力を与えてくださることによって、状況が変えられ、自分も成長させられた人々も多い。本日は、エジプトを脱出し、約束の地に向かうためにどのルートを神は導かれたのか、その神の御心を学びたい。
@ 民の脱出の備え(18〜19節)
イスラエル人の歴史の中で大きな役割を果たしたヨセフは、神の道についてよく知っていた。だからエジプトからの救出を信じて待っていた。創世記50:24〜26を見てみよう。ヨセフは、「必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます」とかつて兄弟たちに語った。彼らは、ヨセフの遺骸を携えていることによって、旅の間中、自分たちが神の民であることを絶えず思い出すことができた。イスラエルの民自身、旅には多くの障害があることを予想していた。武装していて、どんな事にも対処できる心備えをしていた。重いであろうヨセフの遺骸を持つことにもなんの不平を言わず、代々から約束を信仰をもって受け継いだ民。編隊を組んで序列正しく出立した民。おそらく指示系統もかなり整えられた出立であった。
準備万端、あとは早く約束の地に入るのみであったろう。
A 近道でなく遠回りをさせる神
そのような準備をしていよいよ出発するという時の道程は、荒野の道であっ
た。17節を見てみよう。<神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった>とある。エジプトからカナンの地に至るには、幾つかのルートがあった。最も近いものは、地中海に沿って北上する道で、それはペリシテ人の国を通らなければならない道であった。その道を通れば、最も早く、エジプトの北部からカナンの南部に達することができた。しかし、神はこの道を通らせなかった。その理由は、17節の後半<神はこう言われた。「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」>の神の意志による。心備えをしていた彼らのことを神はもっとよく知っておられたのである。そして、彼らがどんなに脱線しやすいかを知っておられた。どれほど簡単に自分たちの仕事をやめる気になるかもしれないことを知っておられた。この近道を通れば、ペリシテ人との戦いは不可避であり、奴隷であったイスラエル人は、どちらかと言えば、戦いは不得意であったであろう。イスラエル人は、ペリシテ人が戦いを仕掛けてくるのを見たなら、必ずや恐怖に襲われて、エジプトに帰りたがるに違いなかった。それゆえ、ずっと遠回りではあったが、紅海(葦の海)に沿って荒野に向かう道、カナンの地に至るまでは、戦う必要の少ない道へと導かれたのである。自分のことは自分が一番よく知っていると、よく私たちは言う。ある人はこう言っている。<私たちには「自分がだれであるか」の内側の方が、「どこにいるか」の外側よりも重要だということを認めることがむずかしい場合がある>と。自分の内側を見つめるよりは、外側の状況ばかりに気がとらわれる私たち。自分の人生のことをとやかく人に言われたくないという我儘な私たち。また指図されたくない私たち。しかし、それをすべて知った上で最善を示す神である。信仰生活において与えられる試練は、私たちの進行の段階に応じて与えられる。神は決して私たちが耐えられないように道には導かれない。「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる」という詩篇の37:23の言葉通りに、私たちを導かれるのである。
この道を神が導かれたのは、実は次の14章の体験を民にさせるという神の意図があったことも付け加えたい。彼らは奇蹟的に紅海を渡ることを体験する必要があった。それは彼らの信仰を強め、またかたくななエジプト軍を徹底的に壊滅させるのに役立った。
B 神の臨在<雲の柱、火の柱>
進むために、神ははっきりした導きを知っておられて、それを与えられた。
すなわち、主が、昼は雲の柱、夜は火の柱の中にいて、彼らを導かれたのである。21節を見てみよう。<主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前をすすまれた。>のである。暑い日中、雲の柱は彼らを灼熱の太陽から守り、また夜の間も彼らは獣を恐れる必要がなかったのである。更に夜の間にも行進し、最も暑い日中に休むこともできた。主ご自身が彼らの前を進んで導かれたので、彼らはどのような危険な荒野の中にあっても、地図がないにもかかわらず、決して迷うことはなかったのである。
神は、同じように私たちを罪の世界から出エジプトさせてくださるだけでなく、天の御国に至るまで荒野の人生を、先頭に立って導かれるのである。私たちの<雲の柱、火の柱>は、聖霊なる神である。聖霊は一日二十四時間、私たちのうちに住んでおられて、私たちを促し、神が、どう生きることを望んで折られるかを示してくださる。そして具体的にみことばを通して、私たちの進むべき道を教えてくださるのである。いかに遠回りと思われる歩みであっても、主のみこころを信じて信頼して歩みつづけたい。
<みことばと祈り>
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」詩篇119:105
神が私たちを完全に知っておられることを―私たちの力、弱さと愚かな虚勢のことも知っておられることを感謝します。
神が私たちの生活の一時間一時間に計画を持っておられることを益々知ることができますように。主は常に生き、混雑する私たちの街路を導き、砂漠のような私たちの空間を翼で覆ってください。自分中心の計画や行動を離れて耳をすます心を与えてください。神の呼びかけに対して「はい。ここにおります」と答える姿勢を常に与えてください。待つ時間が長く、たびたび期待した日が来るのが余りにも遅いので、平凡な日々にうんざりして心を重く沈ませないようにしてください。希望を捨てず、いつも主の導きを信じ歩めるように、私を強めてください。遠回りの道を厭わず、その道を感謝して歩めるように。主の御名によって祈ります。