前のページでは、回復は依存症者の断酒の事を意味しているという観念を取り去り、家族が皆、幸せになる事だと考えてみましょう、と書きました。依存症者の飲酒が頻繁に生活を乱していると、どうしても問題の根本は依存症者であると考えがちですが、その飲酒自体、家族の力で変えられる問題ではありません。依存症者が自分の中の病魔と立ち向かう日まで、病魔は今までと変わらず言い訳もすれば嘘もつく、無責任な行動も、迷惑な行動もするでしょう。依存症者が断酒を決めない限りは、家族にできる事はないのです。

依存症者が断酒をしない限り、家族の幸せはあり得ないのか、と言うと、実はそうではありません。愛情をもって離脱する事で、家族の幸せを築く事は出来ます。

まず、離脱から始めましょう。依存症者の断酒が家族の幸せの第一歩であり、それを自分の努力で実現出来ると勘違いしている自分を見つけます。どんなに頑張っても、変わる事のない病魔に挑戦し、まける事の繰り返しは止めて、病魔を「自分の力ではどうにもならないもの」として受け入れましょう。次に、自分にはどうする事も出来ないのだったら、病魔の行方は成りゆきに任せてしまうのです。病魔からの離脱。人や病気をコントロールしたい欲求から自分を解放し、依存症者、病魔から自分を切り離して見ましょう。

そんな事をいっても、依存症者がいると喧嘩になるし、依存症者は家族を傷つけるし、家にいないと外で何かあるか分らないから不安になる、という方、気持ちはよく分りますが、その状況は家族の思想を変えれば避けられるのです。喧嘩になるのは家族が喧嘩に対応しているからです。売り言葉に買い言葉、という表現がありますが、家族が売る事も買う事もしなければ、喧嘩は避けられます。家族を傷つける行動は、病魔が傷つけているのだと考えれば「お酒を飲む為の口実に過ぎない、私を傷つければ飲めると思っているだけで本心ではない」と割り切れます。そして、相手にしない事です。依存症者が家にいない時こそ、成りゆきに任せる事を心掛けましょう。家族が心配してもしなくても、行方は同じなのですから。

では、愛情をもって離脱、とはどういう事でしょうか? ここで一つの例え話を紹介します。

依存症の夫は隣のベットで酔っぱらって寝入ると、よくベットから転げ落ちて床で寝 ています。以前は、それはいけない、風邪をひくと思って、重たい体を必死で引き上 げて、ベットに乗せてあげていました。でも、また落ちるので、こちらはオチオチ寝 ていられません。アラノンで、離脱ということを学び、単純に彼の事を気にしない、 無視した生活をする事かと思い、次に床で寝ている夫を見た時は、ちょうど通り道だったので踏みつけて更に無視しました。「これが離脱!」と気持ちが晴れました。 しかし、愛情をもった離脱ではないのです。その事をしばらく考えて、次からは、ベットに引き上げる事はしないけれど、毛布をかけてあげて、私もゆっくり寝れるようになりました。

これは、アラノンで使われている「Courage to Change」という本の一部です。この例え話、スラッと読むと大した事はありませんが、よく考えるととても明解です。私が最初の頃、一番理解しやすかった離脱の例でした。自分のいろんな行動を、この話と比べてみて、これは踏み付け?これは毛布? これは引き上げ?と、考えました。 単純な離脱とは、自分と相手の間に壁を作る事で、愛情をもって離脱というのは、間に橋を架ける事かと思います。説明するのはとても難しいのですが。 単なる離脱は他人の関係になる事にも等しいでしょう。しかし私達は大切な家族の一員が病気で苦しんでいるのを知っています。家族の力では救えない病気だけれど、家族が心配する事は自然の事なのです。

この人を救えるのは自分しかいない、と思うのではなく、「自分がしっかりしなければ誰も救う事は出来ない」と考えましょう。そして、変える事のできない依存症という病気を変える事よりも、自分の生活をよりよい方向に、変えていく努力を始めましょう。家族の生活が依存症者中心になるのではなく、自分を中心に考えます。考え方を変える事によって、家族の生活が明るい方向に向かう事は確実です。

家族各々のメンバーが回復の兆しを見せる事によって、依存症者にその空気が伝わる事があります。また、病魔が他人からの無理なコントロールから解放される事で、余計な困惑を減らし、断酒への近道になる場合もあるのです。


次のページでは、具体的な家族の行動を考えてみましょう。

すべての事に良いも悪いもない、考え方がそれを決めるのだ。
ウィリアム=シェイクスピア  

家族にとっての考え方
愛情をもって離脱する事、とは